コンプレックスをアピールしてみよう

神のみの今週のラジオ、テーマがコンプレックスで、とても興味深い。Wed May 11 04:12:26 via twicli

だから、

神のみラジオのテキスト起こし。Thu May 12 13:27:10 via twicli

略してかみのみおこし。Thu May 12 13:27:41 via twicli

させていただきます。
注意!
以下の転載は、コーナーの性質上どなたが何について話しているのかわかりにくいため、不正確な内容になってしまっていると思います。そもそも話しているのが若木民喜さんと倉田英之さんなのかも僕は確認をとっていません。また、あくまでコンプレックスに関する内容を参照したかったので、桂馬とハクアに関するくだりはあえて省略しました。要するにラジオ本編をお聞きください(第6回は5月17日ごろまで配信中だと思います)。ごめんなさい、どうしても、文章化したかったんです。

神のみぞ知るセカイ〜落とし神Calling you〜第6回より僕の聞き取った範囲で転載します

(前略:文脈のわかりづらい会話)

倉田:学生時代のときにさあ、いたじゃないですか。女の子と平気で話してるあのひとたち。なんであのひとたち平気で話してたんだろうと。そのときにまあ、話せなかった自分というのがやっぱりいたわけで。じゃあ話したかったのかというと、冷静に考えるとどうだろうというのもあるんだけれど。

若木:コンプレックスって理想と現実じゃないですか。そもそも、期待してないところにコンプレックスというのは生まれないわけで、だから自分はこうなりたいんだけど、こうじゃない、そうじゃないからいやだと。だから内心、女の子としゃべりたいけどしゃべれないとか、そうするとコンプレックスになるけど、女の子と最初からしゃべりたくないよとなればべつにどうでもいい。だから、やっぱりそのコンプレックスというのはある意味で裏返しでは強い欲望が裏にあるわけで、それが神のみだともろにそういうふうなかたちで、実はこうなりたいっていうのを、桂馬が、それがどこにあるのかを探していく話である。(中略:桂馬について)大体のひとは何かになりたいと思ってたり、すこしはよくなりたいと思っているから、逆にコンプレックスのない人間はたぶんいないと。

倉田:ただねえ、その辺のコンプレックスみたいなのは実は大きなエネルギーになるんですけれどね、転換すると。

若木:そうなんですよ。僕はこういうことで悩んでいますということを声高に言うと大きな力になるし、とくにいまなんかインターネットなんかその嵐みたいなもんじゃないですか。もうなんでも陽のものにしてしまう。すべてのマイナスパワーをプラスのものにしてしまうじゃないですか。

倉田:けっこう認めてしまうと楽ですよ、コンプレックスというものは。

若木:言うと、意外と自分が悩んでいることでもなかったり、いまなんかとくにあっさりだれかが認めてくれたり、むしろウケたりするから。だからやっぱり外に出たらコンプレックスを抱えて得をする職業というのは漫画家とかそういう表現者くらいで、一般のひとはコンプレックスを抱えてもほとんど得なことはないんで、せいぜいインターネットとか、仲間をできるだけ探したりして放出したほうがいいと思います。あんまりコンプレックスを溜め込むともう表現者になる以外逃げ道はないです。

(後略:ハクアについて)

不安をアピールしてみよう - 反言子でも考えたように、ありがちな想像とは裏腹に、ネガティブなきもちを表に出すことでよい影響を得られることがあります。
問題を解決するためには、まず問題を理解しないといけません。不安やコンプレックスを表現することは、まずそれを言語化することなので、問題をはっきり認識してしまう……だからつらい側面もあるのだけれど、解決を考えるうえでは欠かせない一歩です。
自分の抱えている不安やコンプレックスを知られることは恥ずかしい、だから隠したい……しかし考えてみると、「知られてしまう」という不慮の事態、こそが怖いのだと気づきます。自分からそのきもちをひとに伝えれば、そういう不慮の事態には怯えずに済みます。問題が共有されれば一人ではできない協調的な解決も考えられますし。(こういうことは周りのひとの寛容さが前提ではありますが、そこは信じたいのです)
問題と、問題にまつわる不安は、べつの問題なのだと思います。たとえば、ちかごろ僕は非コミュであることをしきりにアピールしています。非コミュは一方で、コミュニケーションの機会を失うという問題があります。他方で、そのような可能性や経験にどんよりと落ち込んでしまうという問題がありますが、これはちょっとした気のもちようで解消される問題です。
ある不安やコンプレックス、あるいは短所や苦手分野による客観的な問題と、その問題にまつわる感情の問題を、同時に抱えることは大きな負担になります。ちょっとした気のもちようで怯えを解消してしまえば、問題を理解する勇気が手に入ります。その手段が、ひとにネガティブなきもちをアピールすることですね。
ところで、そういうきもちを解消することで、逆に、一般にわるいとされる性質にやけに自信をもってしまうということもあります。ああ、これはよいところもあれば厄介なところもあるでしょう。たとえば僕は自身を非コミュと主張することにあまり後ろめたさを感じません。逆に、この自分の性質が、ある事態を改善するための重要な基準に使えるのではないかとも思います。「これほど非コミュな僕ですら有意義な経験をできるイベントをつくるには」とか、そういうことです。
あるいはべつの観点で考えるなら、そういう、一般にわるいとされる性質、が、よいかわるいかというのは、現実的で個別的な文脈においてやっと決まることであって、「人見知りだからわるい」とか「声が大きいからよい」みたいに文脈独立で長所や短所なんて表現できません。一般に、とか、割合として、という断りをいれない限りは。僕はつねづね、就活的典型的質問である「自分の長所と短所」という性質を考えるなんて耐えられない、と感じていたのですが、文脈独立という暗黙的な断りをはね除けて考えるなら、つまり文脈を想像しながら自分の(文脈依存の)長所と(文脈依存の)短所を考えるなら、案外に興味深く楽しそうだと気づきました。

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神のみラジオを聴いてから神のみと原作者さんへの興味がすごく強くなりました。

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