再現

再現、とりわけ身体的な表現によって意味をもつ形態の作品、音楽とか、工芸もそうだと思う、というものがある。そのありありと再現された、されているものを、作品とよぶこともできるし、ちょっとふつうの言葉遣いではないかもしれないけれど、その再現の方法、作品の設計、それを記述した表現を作品と捉えてみたくもなる。優れた再現は、設計の忠実な再現である、という基準は素直に思いつく。しかし、設計への肉づけ、その際のゆらぎによる一回性を豊かさと感じることもある。設計をゆらがせるものが再現の作品、ゆらぎを設計で固定させるものが記述の作品、なんていう区別を思い浮かべてみる。
再現の作品は、反復による訓練がよく想像できるけれど、記述の作品は、ゆらぎを固めていくものだから、反復による訓練となじみにくいおもむきがある。(記述による作品のための)記述は、文脈の異なった繰り返しによってやっと訓練として効果をもつだろう。記述の作者の目からは、再現の作者の至る洗練の極地が輝かしくみえる、というのは、無理解によるものだろうか。