暇つぶしのランク

「暇つぶしのランク」という言葉を聞いてすごいと思った。何がすごいんだろう。暇つぶしという一見価値フラットな概念にランク属性を導入したところ。ランクが上がるという解釈のゲームメタファ的な表現の鮮明さ。その発言者本人の暇つぶしランクが明らかに高すぎること。ランクの間−個人的な相対性と主観的な明確性・一貫性の対比。人生の区分け(たとえばワーク/ライフ)に対する再統合性。なんか「ランク」ゆった途端「暇つぶし」概念が広がった感覚。
もうちょっとブツブツ考える。
ふつう感覚において:暇つぶしは人生の区分のひとつである。人生の区分にはたとえば、趣味、仕事、家庭とかある。暇つぶしもその区分のひとつであり、目的的でないことがその要件だと思い浮かぶ。
目的意識は意識を苛む。たとえばある人生の区分においてその目的を自己実現に見出すとき、その区分の失敗を自己否定と解釈する。人生の区分化と特定区分の目的化はリスク。「暇つぶし」視座は、目的意識を解消する。「すべて暇つぶし」視座は、さらに区分を解消する。これだと「なんでもいい」に陥る。そこで「ランク」を導入する。すると、すべては(分類において)いっしょであり、どれもが(主観的価値として)異なる。そことは、自分の世界ではないか。