緊張をひらがなに

寒くなってからもうゴキブリに出会っていないなあとふと思って、ゴキブリに出会わない生活はなんてしあわせなんだろうと、そんなことをかみしめられてしまうことに気づいた。それだけ部屋のなかのゴキブリというのは自分にとって脅威だったんだと。僕はゴキブリに殺虫スプレーを浴びせる程度の戦闘力はもっている。しかし息の根をとめた時点や、それを処分し終わったところで、膝ががくがくしていることに気づく。心理的要因で膝ががくがくするできごとなんて(冒険とかしないので)ほかに思い浮かばない。
僕は人間とかコミュニケーションが怖いが、ゴキブリよりも怖い人間とかコミュニケーションというのは関わった憶えがない。それはなかなか、いいポイントなんじゃないかと思う。
僕の人間とかコミュニケーションに対する負のきもちは、怖いっていうより、いやだ、めんどうくさい、の言葉が合う。あまり人間やコミュニケーションに関わろうとしないから、それなりの舞台しか踏まず、緊張というのも極端にするわけではない。そういえば、最近に緊張することなんてあっただろうか、とか思える。だから、このまえの日記で「緊張した」とか直接表現を書いたのは、自分的にはおもしろい。そこには「緊張と期待」という言葉もある。この「緊張」をひらがなにすると「どきどき」「わくわく」「そわそわ」あるいはそのさまの「きらきら」さだ。どきどきするには、価値あるものへの意欲が必要だと思う。不安や諦めが強いと、価値あるものへの意欲を守ることはできない。価値あるものへの意欲を守るには、期待と、期待を支える信頼と、信頼を疑わない決意、そういった強い力が必要になる。なるほど、僕が緊張を忘れるのが簡単なのももっともだ。緊張には宝石にみえるものもある。そんな素朴な感想を自己肯定する。