経済活動において僕がいかに異常であるか

ラリルれ、にちようび。」ありました。というか、知らなかったものもいっぱいあります。すごいですね、これ。たいへん危ういです。ゆえにインターネットは楽しいなり。みたことのない拡張子に目を輝かせる体験、それに近いものは、これからも得ることができましょうか。ひとは大人になります。
藍ぽんの『あいのうた』初回盤がAmazon.co.jpで「通常3〜4日以内に発送」になっておりますが、これはおおむね絶望を意味しましょうか。
これだから嫌なんですよ。お金を使うことが苦手なのはご存知のとおりです。しかし根は好きなのかもしれない、と自覚しました。実は限定とかに弱い。だからこそ、という逆説。負けそうなくらいなら勝負に至りません。
思えば、ふつうのお店でものを買うこともなくなった。欲しいものはウェブとAmazon.co.jpジュンク堂書店と図書館*1ですべて手に入る。あとは近所の文房具屋さん、とはいえ、ここ一年ほど利用した覚えはない。プリンタ用のA4用紙をノート代わりに勉強しているからだ。こんな僕がCDショップで藍ぽんのアルバムを購入するなどという偉業に挑めるはずがない。そもそもに女性の姿が描写された商品を店頭で購入することが想定できない。僕にとって音楽CDとはAmazon.co.jpのことだ。こう書いたところで、いよいよおかしなひとであると自覚してきた。
基本的に僕は頑固であると思う。また自惚れている。もうすこし容姿が整っていれば、完全にナルシストであったろう。下駄を履き和服を着こなし上品に街を闊歩する素的な男性を気取る異常者になっていたろう。茶道と華道を嗜んでいた。創作活動は苦手だが、恋人の得意分野である。彼女はときにはんなりで、ときにみやびであり、ときにりんとしている。素を失った役者的現代的若者。それゆえ彼女に素はなく、だからこそ僕は彼女のパフォーマンスを魅る。彼女は演じるひとであり、歌うひとであり、話すひとであり、踊るひとであり、人文・社会科学に傾倒し、かつ理系的な合理性を背後に敷き、しかし彼女のパフォーマンスはその実を華やかに覆い隠す。僕との接点は哲学であり、彼女は僕であり、僕は彼女であると同時に、彼女はけっして僕でなく、もちろん僕は彼女でない。臆面もなくひとまえで歌いだす生粋のエンタテイナ。僕は彼女に憧れを表し、彼女はそれを軽くあしらう。お互いがどれほど真剣にそうポーズしているのかは定かでない。素のない彼女に接する僕が、どれほど素を保っているかも、また定かでないからだ。つまりはこれもパフォーマンス。しかしそこに虚無はみず、ある種の豊かさと楽しみはどちらもが感じていた。

*1:ここにおいて経済活動はおこなわない