大切なことがあたまのなかのそとのどこにある

近所の大学のデザイン系の学部の卒展を見てきました。
自分の学部の卒研発表とかだと100人中80人が自分にできないようなことをやっていてすごいですが、こういうところだと100人中100人が自分にできないようなことをやっているのですごいです。
なかでもとくに目を引く作品がありました。辞書とイラストを組み合わせたような本です。右側のページにいくつかの言葉たとえばある形容詞対が辞書から引用されます。左側のページにそれを一枚の絵にしています。その魅力を言葉にすることはまったくにかなわないのだけれど。
一見、お、パターンランゲージ的なあれか?なんて思ったのだけれど、そういうのではなくて、じつにアートであると思った。言葉というより、概念を扱っていた。対立とか対比とか対照とか比較というものをひとつのオブジェクトで表現するというのは言語の苦手分野ではないかと思う。止揚っていう概念もあるけれど、単なる妥協を越えた結論を導けるかというと、あまりに高度な試みに感じる。そういう難しいものがこの左側に表現されていると感じた。
言葉の定義は、よく内包とか外延とかっていわれる。そのものに欠かせない性質とか属性を記述したものを内包っていう。そのものに当てはまる具体を列挙してその集合を示すことが外延だ。ここにもうひとつ、イメージというのも定義なのではないかと感じた。すなわち質、カタカナにすればクオリティともいってもいいし、クオリアっていうあれもそれかもしれない。ある言葉が100人中90人に共通して与える質があるのであれば、その質は定義なのではないか。
いいや、そんなことは些末だ。なぜ90人という精度が求められるというかというと、言葉のコミュニケーションツールのとしての役割をまっとうするためだ。その枠を外すなら、つまりアートであれば、その制約もなくなる。と考えると、作者さまの思惑にじつに納得がいく。
あの感銘をまったく言葉に尽くせないことの無力さを嘆く。