おーけい。おーらい。はじめましょ。









僕は目的なくサイトをはじめた。のかな。サイト巡回というものを知って、そのうち溢れるブックマークを処理しきれなくなった。そこでニュースを垂れ流すはけ口が必要となった。そうやってニュースサイトとしての黒板ほ゜が誕生した。
これは目的だろうか? ニュースのはけ口という機能があればよかったのだ。ニュースサイトという形でも、いまでいうソーシャルブックマークでも、ローカルで動かす情報管理ツールでも、なんでもよかった。「ニュースサイト」という形を選んだのは、偶然だ。目的とはなにか。わからない。でも黒板ほ゜をはじめたときに目的があったとは思えない。
ブログが流行っている。とくに初心者向けの解説が盛んである。そこで必ずといっていいほど書かれるのが、目的やテーマを決めましょうということだ。それを決めることで、運営がやりやすくなり、また評価されやすいサイトになるからだ。
しかし、どれだけの人がサイトをはじめる目的を示せるだろうか。「テーマは日常生活」とか、なんだそりゃ。なんでもありじゃねえか、テーマぢゃありません。備忘録が目的とか、メモ帳にでも書いとけ。
──なんてことは、僕は思っていない。ただ、それらが目的やテーマというに相応しくないとは思っている。そして、目的やテーマなんてものは個人サイトをはじめるにあたってなにも重要ではないと思っている。
目的やテーマを明確にしてサイトをはじめましょうって、気持ち悪い。目的なんて後からついてくるものなんだ。そして変わりつづけるものなんだ。コレって決めれるもんじゃない。ましてやサイトを運営したこともない素人どもが目的を掲げてブログをはじめられるかってんだ。
とりあえず作ってみりゃいい。三日坊主ならそのまま埋もれちまえ。チラシの裏が相応しい日記でも書き垂れてやれ。悩めば不毛な文章を書き連ねろ。不快なら愚痴を吐き出せ。ブログなんて人生において必要ない人がほとんどなんだ。だから適当にはじめて、性に合う人だけ続ければいい。
誰もが悩むこと。「人はなぜ生きるのだろう」……あ、まちがえた。誰もが悩むこと。「自分なぜサイトを運営するのだろう」。目的なくサイトをはじめた者は──目的をもってサイトをはじめた者でさえ──しばらくするとこの問いにぶち当たる。そこが出発点だ。
人間くさい。ここに魅力を感じる僕はもう個人サイト文化に浸りすぎているのだろうか。
がちがちな目的指向サイトは気持ち悪い。もちろんコンテンツとして運営されているものは別だ。「サイト」そのものがひとつの目的に縛られるのは、中の人をも縛るようだ。



だめだこりゃ




個人サイトは学術と連携できるのか。僕は学術の世界(業界)の外にいるので、わからない。というか思考放棄だ。子どもは子どものことしか語れない。しかし大人は、大人のことと子どものことを話せる。だからなんだ。





「自分のために発信された情報」というのは誰もが真剣に捕らえようとする。たとえば対話しているときは、テレビのニュースをみるときよりも真剣である。これは一対一という状況以外でもありえる。たとえば講義のとき、ふつうは一対多のコミュニケーションだが、講師が自分に向けて話してくれていると捉える、つまり主体的に聞き解くことによって、関心が高まる。あるいは雑誌で「○○なアナタに朗報!」という記事があって、自分自身が「○○なアナタ!」に当てはまるとき、それに特別に注意を向けることになる。
ウェブ上の情報には、出会いがある。出会いの要素はふたつ。偶然と運命である。ん、ちがう。




アクセス数といってもいろいろある。ニュースサイトからのアクセスに価値を見出さない人もいる。アクセス数はサイトの質とは無関係であるという意見もある。
僕はアクセス数には頓着しない方だ。アクセス数の少なさを個性と感じるほどだ。
たまに気合をいれて文章を書くことがある。このときはニュースサイトに取り上げてほしいなと思う。実際にそうなるとうれしい。努力が報われた感じだろうか。
はじめてどかーんとアクセスが来たとき、アクセス数を増やそうと意識しているわけではなかった。いきなり増えた。やはり意識は変わった。おそらく良い方向に。処女を喪失した感じだろうか(童貞だが)。はじめてインターネットにつながったと感じた。自信のようなものがついた。