きをふしの弱さや幼さを淡々と書き綴る

僕は打たれ弱い。打たれることを想定していない。攻撃の兆しをみせるものからは遠ざかる。受けるでも避けるでもなく、攻撃そのものをやめさせる。打たれたときは、それは攻撃でないと解釈する。僕に対する攻撃という事実はない。
僕は悩まない。悩みそうになったら妥協する。悩ましい問いをかけられたら呆ける。懸命に悩む彼らに対して、僕は何も感じない。何かを感じたら、僕は悩むに決まっている。
僕には限界がない。限界を信じないということだ。学ぶというのは、自分が天才でないということを日々確認していくことである。ゆえに、僕は学ぶことを信じない。
僕はやっと反抗期になったのだろうか。何に反抗しているか。真理である。
僕は他者の刺激から行動しない。「させられる」ことを嫌うからだ。僕は自分のセカイに愛着をもつ。ここからあらゆる物語が成る。と信じる。僕は僕自身からしか学ばない。
それが幻想であるという真理も知っている。合唱の練習や列車事故から、「協調学習」という研究テーマの重要性にも気づき、関心も増してきた。僕自身も他者のなかで活かさせるものであり、あらゆる学習は協調学習であるかもしれない。ここに典型的な葛藤ができあがる。お早めにお召し上がらねばならない。