僕の日記は時の経つごとに様変わりしていると思う。この不安定な日記にいつもいつもおもしろさを感じているきみは、だから僕とともにおもしろがり方を拓いてきた、といえる。僕からみれば、きみは「ついてきて」いる。きみからみれば、どういう意識もなかろうよ。おそらくは常にきをふしを「みつづけて」いる。振り落とされることはなかろうよ。この危なげな揺りかごの上で、きみはこうも安らかさ。
ここがどこだかわかるか? 振り返ってビビんなよ。*1

*1:こういう気障な文章を書いても、もう自分の文章を恥じることはないような予感を感じる。過去の文章を恥じることは成長を意味すると聞くけれど、ここさいきん、だとしたら停滞しかしていないし、完成? 不安定でありつづける安定、あるいは、変わりつづける恒常、というものにわりと惹かれるのですけれど、まあ、何の話ですか?