にっき

現実世界における体験は自分の文脈に引きつけるビリティにおける射程距離が大幅に拡大する機会が多い。しかしその引きつけによってたしなむ情報、いわば仮想世界のおもしろさに本質をみるとすれば、どこかしらの欠陥を感じずにはいられない。どうすればええんやろ。違和感を否定するか、あるいはそれに従い、べつの価値に目を移すか。
どんなことにおいてもそうなのかもしれない。ウェブというインフラがなくったって同じかもしれない。なんらかのメディア、まあ、ひとにとってのメディアにおいて、ひとがメディアに足るのだから、解釈または意味と同じように、ひとという生命とメディアは同時発生的ともいえるが、それがある限りで似たような相補関係のなかに立たされることはある。
ぜんぜん関係ないけど、ウェブ上の発言で、ちょっとでも他人がリアルで用事があったのをみるだけで、こいつはリア充だ、と思ってしまうのはなんなんだろうね。リアルでちょっと用事くらい、自分でもあるのに、どうせ僕は非ですからとへりくだる。
それにしても、自分は関心が狭まっているのではないかと思う。または、バカになっている。何かが深まったとも思えない。変わったところは多いと思う。でも、本当に変わっているだけだ。ただそれだけだ。ただだけだ。だだだ。
ゲシュったところで終わり。