足りない

昼寝もしたことだしテキストプレイをかねて夢日記を書くテスト。こんかいも10分間、ていうか10分だとテキストプレイじゃないよなjk。夢は、というか昼寝の時に見る夢はとてもおもしろいものが多い。昼寝、また過眠のときに見る夢は、論理的思考代わりとしっかりしている。いわんや、昼寝で起きる直前に見る夢、つまりは認識するところにおける「昼寝でみた夢」というのはかなり論理的にしっかりしている。多分にもれず、というかそんな多分は想定なのだけれど、いまみた夢も非常に論理的であった。僕はバイトをしていて、それは友達にむりやり始められさせられたところ。それもなぜか二回目。僕はその店に一度はたらいていたが、やめて、またなぜかはたらきはじめ、はたらくつもりはなかった。その店に行った。飲食店である。友達といった。高校時代の知り合いに似ている。なぜ彼なのだろう。あることを相談してもらっていた。それはなんのことだったろう、また別の夢だった気がする。彼と店をでて、料金をカードのようなよくわからないもので支払った。というより、店舗の外の小屋みたいなところでお金を借りて、そのお金から支払って、そのあとで借りたところにお金を返すようなことをしていた。知り合いがなぜかそこにいて、彼も高校時代の知り合い、もうひとりと同じクラスのひと、だったのだが、彼の分を、彼は僕に立て替えてくれと頼んだ。お金を払おうとしたら彼にお金があったようだった。そこでレシートのようなものを僕はみつめ、さて、どうやって辞めることを告げようかと考えていた。考えていたのが、とりあえずふつうに店に入って、従業員に店長を呼んでもらって直接告げるというものだ。しかし面と向かって店長に、また、辞めます、というのははばかられた。そうこう考えているうちに店長が店からでて僕のところにきて尋ねた。ちゃんときなさい、とかそういうことではない、どうやって続けるのか、というような、反語的疑問文で何かを問われたので、続けません、辞めます、というような言葉で答えた。店長は、辞めれない、と断言した。いいえ、辞めます。辞めて何をするのか、じゃなかった、なぜ辞めるのか、と理由を問われた。バイトをやめてほかにするべきことがあるからです。それは僕にもある、と答えた。だからダメだということだろう、あるいはそう断言なさった。けれど僕と店長では社会的なアレが全然違うではないか、と思った。だからといってそれが僕が辞める根拠には足らないということも確かである。えっと、ええと、だからそれでも僕が辞めるということを言わなければない。さて、なぜ僕は辞めることができるのか。たかがバイトだから、といってしまえばいい。社会的な責任の問題。もちろん、そんな言い回しではな通用しないが。しかし、夢のなかで直接そのようなことを思考・意見したかは覚えていない。ただ辞めるということを告げた。辞めて何をするのか、ということを問われた。それは夢から覚めたあとのことかもしれない。やりたいこと、やるべきことを、を告げた。そのあと、ソレを実際にどれだけやっているか、と問われた。やっているべきこと、を中心に、偽ってその問いに答えた。のは、夢のあとのこと、きっと。