何を言っているんだろう

わたしとあなたが離れることで、これまでのように毎日会うことはできないだろう。ふと気が向いたときに赴くことはできないだろう。一目見ることにたくさんの手間と都合を要するだろう。その意味で、わたしとあなたは「会えない」……。
その事実は認めよう。だから「寂しい」と感じるのだろうか。「会いたい」のに「会えない」から「寂しい」のだろうか。
事実に感想し、それだけで終わるなら、人間はただの想う機械だ。感情は自分のものだ。それなのに、なぜまた、それをもつ自分というものを認識し、感想をもとうとする。
「会えない」から「寂しい」のだろう。「会えない」から「会いたい」のだ。「寂しい」から「会いたい」のかもしれない。「会いたい」から「寂しい」のではない。世間はそれを「切ない」といって情緒を見出す。それは逆流した感情だ。
感情は事実という檻に囚われて外を眺めるものではない。わたしが事実を突き動かすために、わたしを突き動かすものだ。
「じゃあ、あんたは私に会えなくてもいいんだ?」
そんなことどうでもいいよ。ああ、抱きしめてえなあ。



http://kiwofusi.at.infoseek.co.jp/log/2004-08.html#NC16