ひとから教えてもらうこと

ソフトウェアテストに関する授業がある。テストは専門家だけでおこなうべきではなく、組織横断的にさまざまな視野・経験をもったひとが求められる。とくに情報システムの評価はビジネスに関する理解や感覚が重要だから。「テストするひと」を定めるのでなく、べつの専門家だからこそテストに参加しなければならない。
しかし、どこかにひとりくらいはテストの専門家がいなければならないだろう。だれもがテストに習熟するのは難しい。彼らを指揮・教育するひとは、テストそのものについて知識を身につけているはずだ。逆にいえば、その指揮・教育下においてのみ、彼らがテストをこなせば、めでたし。
ひとから教えてもらうことって、そんなに大事なことじゃない。いろんな仕事を効率化していったら、できることがどんどん明確になって、その分できないこともきっぱりする。そのできないことを補うために組織があるのだろう。だから、教えてもらわない限りできないことって、もともと自分にはできないことなのだと思う。教えてくださいっていうのは、それは僕の仕事ではありませんという宣言みたいなもの。
引きこもって勉強すること、ひとから教えてもらう機会を避けることは、そうでない場合に比べて、本当にもったいない勉強の仕方といえるのか。もちろん、ひとから得るものはたくさんある。それは刺激とか気づきというレベルで、本当に「ひとから勉強している」ことはあるだろうか。ひとは、ひとりでしか勉強できないと思う。
ひとから教えてもらうことは、勉強には勝らないと思う。ひとに教えるためには、勉強しなければならないと思う。ひとに教えるために勉強するわけでもない。
「勉強しているひまがない」ことなんて、いまの自分にあるだろうか。