わたあめ会 第2回

ドラッカー『チェンジ・リーダーの条件』part2の第1-2章を読みました。わたあめ会はいま三人でやっていますが、お一人はきょう都合がつかなかったのでid:uesimaと二人でやりました。
当日から準備をはじめるというアホっぷりで不十分な資料になってしまった。
メモ:http://kiwofusi.at.infoseek.co.jp/wata2.txt
図:http://docs.google.com/Presentation?id=dhhjdvch_15fvspstdq

準備不足で感じたこと

前回uesimaくんが図をたくさん描いてくれてわかりやすかったので、自分にしてはがんばって3枚ほど図を描いてみた。メモの流れに合わせてもうすこし細分して簡潔な図を増やすべき。メモも抽象的な部分を抜き出すだけで、具体的な考察が不足していた。
その点をuesimaくんがうまく補ってくれて大変助かりました。資料の準備は時間をかけないといけないし、対話によって深められることはたくさんある。当たり前のことですが教訓になります。準備不足だからこそ痛感したことかもしれません。ありがたいことです。
あとメモは印刷するべきだった。というよりメモという資料がなかなかに微妙で、むしろメモに頼りすぎてうまく思考が回らなくなるという側面もある。あくまで話の流れを見失わない程度のものにとどめるべきで、そこにコンテンツを詰め込もうとしてはいけない。

本を読むことの意義について

輪読という勉強報に意義はあるのか、あるいはマネジメントという実践的な概念が読書によって身につくのか、という疑問はなかなかに拭えないし、忘れるべき問いでもないと思う。
きょう扱ったのはほんの20ページ程度だが、雑談も含めて90分かかった。個人でこれほど時間や疑問を費やして読書に取り組むことは難しい。人文・社会系の世界では当たり前の勉強法なのかもしれないけど。
『チェンジ・リーダーの条件』はマネジメントについて書かれた本だが、これを読むことにどんな意義があるだろうか。マネジメントとは何か、ということを説くうえで、時代の移り変わり、現代における組織のあり方、社会的な背景などにも触れられている。それらはいまとなっては「当たり前」だと思えることも多い。それを「当たり前」だと思われていない時代に明文化したことがすごいんだと思う。逆にいえば、いま僕がこれを読んで「なんだ、当たり前だな」と思えることが、著者がいかに明晰な視点をもっていたかを表す。要するに(現在的な)歴史の再確認。
一方で抽象的すぎる言い回し、理想論っぽい意見も目にはいる。この歴史とビジョンのずれこそが僕たちの注視すべき部分だろう。なぜ理解できないのか、なぜ現実的でないのか、そこからあるべきマネジメントの姿もうかがえる。昔に書かれた、いまとなっては当たり前、の本を読む意義ってそういう(?)ものじゃないかと思った。
それで果たしてマネメントがわかるのか、できるか、というのはやはり疑問だ。しかし位置づけを知ることで取り組み方がわかる。知識と体験、どちらかが重要だなんて、わざわざ決めるようなものでもない。

マネジメントと現代に生きる私

ある先生が「ホワイトカラー」とは「個人の生活、人生、仕事をマネジメントすること」であると定義なさっていた。非常にきもちのいい定義だと思う。(断片的なメモをたどる限りでは)そのためには目標、計画、提案、新しい仕事が重要であるとのことだ。
ドラッカーは、マネジメントは一般教養であり、みんなが理解すべきであると説く。その背景には、組織と個人の関わり方の変化、とくに個人が自由に人生をおくるうえで組織との関わりが外せないものになっているからだろう。いまどき僕たちが「生きる」ってことをイメージするとき、それはたぶんホワイトカラーな生き方だ。つまり、マネジメント。じつに明快だ。