プロジェクトマネジメントの標準、現場、あるいはアジャイル

プロジェクトマネジメントについての授業がある。
講義メインの授業ではPMBOKにもとづいてプロジェクト計画の真似事をしている。
Webアプリ作成の演習ではある企業の情報提供をもとにプロジェクトを進める。
それぞれの授業で、プロジェクトとは何か、どのようにマネジメントすべきかということが説かれる。ときには対比的に説かれることもある。「現場では」とか言って、大学という箱庭のなかでなんとかプロジェクトについての現実的な知識や体験を与えようとしているのがうかがえて微笑ましい(何様だ)。
ソフトウェアの品質管理、要するにテストだけど、そういう授業もある。ソフトウェアと同じようにテストウェアが重要であることや、ドキュメンテーションの重要性なども述べられている。古典的かつステレオタイプ的なウォータフォールモデルへの批判は十分にもつ機会があると思う。
なんだか垢抜けない。PMBOKのようなプロジェクトマネジメントの標準を教え込んだり、現場における実務をなぞらせたりして、結局のところ学生に何が身につくのだろうか。標準を理解し、うまく応用することでさまざまな規模、状況においてプロジェクトを柔軟にマネジメントする力だろうか? 大規模なシステム開発において役割にもとづき発揮すべきスキルだろうか? なんとなく、プロジェクトなるもの、プロジェクトマネジメントなるものに触れてみよう、(新人研修でちょっと楽になる程度には)慣れてみようという心意気しか感じ取れない。
不十分だ、と言いたいわけではない。実際に、それは難しいことだから。実務に関する知識が必要だし、リーダーシップだってすぐに身につくものではない。スキルを身につけるならそれ自体を科目にすべきだ。経験が重要なのもきっとそうだろう。
学生に求められるのは社会に出て活躍できる力だ、というのはもっともだ。それがいわゆる「社会の要請」であるのもまあいい。けれど、それと「即戦力」はまったく一致しない。はたらけない、能力を活かしきれない、ということは仕事と個人のあいだにずれがあるからだが、その責任は仕事にも個人にも転嫁できない。ずれは失敗でなく問題である。「能力を活かす」というテーマである。
アジャイルという言葉がある。変化に対応すること、反復的にプロジェクトを進めるという意味合いだと思う。望ましいというわけではない。少数精鋭という条件において効果を発揮する。やる気と実力が必要だ。難しいことだ。
演習で、みんなそれなりにはやる気がある。わりとわいわいやっている。けれど、それでアジャイルなプロジェクトに踏み込めるかというと、とてもそうは思えない。経験がない。技術がない。だからといって、企業と協力してウォータフォールな大規模開発を前提にしたようなしかし小規模なお試し開発ごっこを自体への批判も交えずにやらせるのは勘違いをまねきそうだ。それが社会における開発の主流であるという現実も考慮すべきだろうか、ただ世の中の流れに合わせることが大学教育のあるべき姿だろうか、なんていうありがちな文句を垂れたくなる。
意外と、学生たちはやる気がある。おままごともそれなりに楽しめる。これは教科書的・伝統的な基礎の勉強に目的意識を与えうる。すくなくとも勉強のためのまえふりとして優れていると思う。伝統的な工学教育にはない意義を見出せる。しかし、そこに結びつかない。あとは自分で勉強しろということなのだろうか。それとも、社会においてそんなことは求められていないのか。そういうひとは進学しろといいたいのか。
以上は狭い箱庭のなかで浅い体験によって得た感想にすぎない。職業を通して学問を考えること、学問を通して職業を考えることは、教育においてどれだけ考えられ、試みられているのだろうか。