知的生産

どういった活動を知的生産というのか。執筆とかソフトウェア開発はきっとそうだろう。観察はどうだろう。説明は。解釈は。実証。演繹。そういう細かい単位で「それは知的生産であるか」と問うことが不適切かもしれない。
しかし発想を転回すると、観察だろうが解釈だろうが、それ自体が知的生産であるように「仕向ける」のが、生産的であると思う。どんな活動の単位をも生産に仕向ければ、どの過程もまた成果である。単なる過程、およびそれらの積み重ねを撲滅したいなら、そういう画策がある。