逡巡コストと生産性

AかBかという排他的な選択の逡巡コストおよび片方の実施コストに対して、AとBの両方を実施するコストのほうが小さい場合、後者のほうが生産性が高い。実際には、それらのコストは予測なので実証はできない。かといって前者の選択が適切であるかという問題もある。それも含めての生産性だ。すなわち両方の実施によって排他的な選択とは異なる質の成果を得られるかもしれない。そういう予測、というより予感としての生産性という尺度が見出せる一方で、これはあくまで美的な問題なのだけれど、その予感によって逡巡が失われることに貧しさを覚える。両者の価値を比較することは難しい。その考察は、前者の価値観のうえに立つことを免れない。この考察を続ける限りで、この考察は、逡巡しないことに対する逡巡を捨てることができない。



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