ユーザ参加

仕事の領域を分割して、責任を専門家に分割するのが、この生活の主要なフレームだ。べつに責任がないからといって参加してはいけないということはないけれど、分割が進行するほど仕事はユーザの手から離れていく。これによってやんごとなきクオリティが失われているという問題意識はそれほど実感がないけれど、その領域が背負っている面倒くささを滅菌することにもつまらなさを覚える、だろうか。気まぐれに、あるいは、ある領域においては。
問題の分割が進むほどに、問題意識のとおる網の目は細かくなっていくように思う。それは健全かもしれない。もし問題意識の燃えかすを消し去りたいなら、問題の統合がその手立てになるのではないかと着想する。このように意識の高い考えごとはわたあめで、現実における難しさ、面倒さ、無関心の前に儚い。この儚さにおいてこそ、境界を消し去る武器は、もっと厄介な妄想を与えてくれる。