役が生命であるとき

物事を整理するための、ロール(役割)という捉え方があります。あるひととか物、それ自体と、それがもっている役割を区別することで、すっきりと物事を整理するための捉え方です。
たとえば、ある組織に属するひとびとを整理するとします。あなたはその組織の一員で、あなたには上司がいます。そこでメモ紙に「上司」と書き込んでみます。しかし「あなたの上司」にも「上司」がいます。その「上司」からみれば、「あなたの上司」は「部下」になってしまうのです。だから「あるひと」を指し示すために「上司」という言葉を遣うとごちゃごちゃします。
では上司とは何かというと、あるひとからみた、ほかのあるひとの役割、すなわちロールなのです。図式でいうと、「上司」という言葉は、「ひと」と「ひと」を結ぶ線に書き足すメモ書きになります。



自分には機能がある。機能は外部との関係によって発揮される。機能が発揮されたとき、自分は機能を発揮している状態である。外部の目的において、自分の機能は外部にとって役割と解釈される。自分の役割は外部の目的を意識しない。目的意識、役割要求に独立して、機能を発揮するとき、役割が客観的に(あいだの線として)生じる。このとき、役割を演じるという事態にまつわる問題は起こりえない。
役を演じる、という言い回しは自然である。この「役」は「役割」とは意味が異なる。架空の人格というほどの意味があり、先に解釈したような、現象としての役割のような断片ではなく、総体である。役割はメタ(客観)観察によってみつかる。役は内部観察によってみつかる。役はおのずとしたおのれではない。おのずとしたおのれを変質させるという意味で、作用から免れない内部観察である。

アニメ「AKB0048」第20話「美森革命」で、アイドルグループAKB0048の研究生である岸田美森が、過去の伝説のアイドルグループAKB48のとあるオリジナルメンバーの名を襲名する。襲名によってひとは変わるのか。変わるという側面、変わらないという側面が双方からえがかれている。



重層的ロールモデル:憧れ、指導者の内面化 - 反言子