生きる意味

生きる意味を考える。そのだいたいは動物として生きることで満たされると感じる。精神の満足が生きる意味の本質であると考えることもできるが、その考えは精神活動に没入して出てくるものだし、精神活動に没入できるという必然的な動物的安定を考えると、重要なのは動物ではないかと考える。その線で自分にとっての大事な生きる要素は何かと挙げると、

  1. 米を炊く
  2. 布団の上で寝る
  3. パソコンの前に座る

あたりが出てくる。このどれかが欠けることを想像すると、自分の動物的生活はただごとではないという危機感を推理する。もっと高度な欲求としては、平日の昼間に百円ショップや業務スーパーで買い物する、ということが思い浮かぶ。
ここで反省できるように、僕は動物的要件を考えようというつもりなのだが、その結果は意味的・文化的な側面を含んでいる。たとえば栄養を摂るという機能において僕は米を炊く排他的必要に迫られていない。それでも米を選ぶのは、米が好きであることに加えて、米に対して文化的象徴としての価値を認めているからかもしれない。
意味や文化に対する満足、すなわち精神の満足は、動物の満足のうえに重ね塗ることができる。生きる意味を高尚に考えたくないのなら、この重なりからはみ出さないように注意すると安心する。