妄想倫理

思想(精神活動)の自由:実証不可能なことがらに他者が正しくはたらきかけることはできないという原理から自動的に導かれる権利だと思う。
表現の自由:人間らしさすなわち知性と密接に関係する表現という行為をむやみに妨げてはいけないという規範意識から定められる権利だと思う。
思想は実証不可能であり、したがって「力」として観測することはできない。表現は「力」として観察できる(?)。物理的な「力」の現象を「もの」と「エネルギー」の関係とするなら、表現的な「力」の現象は「思想」と「表現」の関係だ。表現によって思想が変わるという事態は想像できる。けれど前提と結果が観察できない「思想」なので、「力」としての「表現」の功罪は実証できない。「思想」に相関を期待できる「ふるまい」から、擬似的な実証を試みることはできる。原理的に確かではないが、洗練された方法と慎重な考察をもって実証に近づける、という意味では、表現の「力」は科学の対象のなか、あるいはそのぎりぎりらへんに来る。ここから、ひとはひとの「表現」を裁きうる。
日常感覚的に僕は表現に「力」を感じる。ある種の「力」が裁かれるように、表現を妨げることも秩序の一形態であるように思う。
「思想」にはたとえば「ホモ妄想」、「表現」にはたとえば「ホモ妄想トーク」が含まれる。



Twitter / kiwofusi: ホモ妄想可能であるコンテンツとホモ解釈妥当であるコンテンツを ...