感想がないという感性

感想文を書けないことがある。どんなときでも感想文を書けないのならば、感想文を書く機能を習得できていないのが原因だと思う。そうでないのなら、感想文を書けないことには意味があるのではないか。
感想文を書きなさい。どうやって書けばいいんですか。自由に書けばいいんです。という一連の価値観があるとする。この価値観において、感想文を書けず、書けない、という事態にも、感想文としての価値があると考えると、価値観の一徹をより強く感じる。