ばかみたいな背表紙

気分のすぐれなさがあって、これを治療したいという気色があって、それ自体に関わるというアプローチと、それから遠ざかるというアプローチがあって、なんとなくそのあいだ、それとなく関わりのあるそうなことをなぞる、みたいな、要するに、いまの気分にドンピシャじゃない程度に響く本でも読んでいれば癒えるだろうと期待して、図書館をうつな目で漂っていた。これだ、という本、それはドンピシャという意味じゃなくて、ドンピシャをやや逸れたという意味でこれだという本はなかなかなくて、でもそのさなかの気分はそれほどわるくなく、ごくわずかな気分の紛れにはなっていた。でもやっぱり、求めているものがみつからなくてむかつくという気色はあった。「いま自分がなんとなく抱えている気色を解消する手立てに関係があり、かつそれが〈正解であるゆえに理解を要する内容である〉のではない、ものはないか」。ふりかえってみると、そんなもんは都合よくみつかるほうが不自然で、かといって自分でやるという発想を出す気力はなかった。ふとばかみたいな背表紙がみつかって、これだと思った。無性に可笑しかった。