AKB48を知らない一声優ファンがAKB0048をどうみてきたか(その2)

前回:AKB48を知らない一声優ファンがAKB0048をどうみてきたか(その1)
ニコニコアニメスペシャル「AKB0048」first stage全13話一挙放送(2012年12月9日)の「AKB0048 突撃!ゲリラ・チャンネル」というコーナーをみて「のなめん」に対する印象が変わった。ここでははるきゃんと佐藤すみれが出演して、司会は鷲崎健だった。わっしーといえば声優イベントではおなじみで、このコーナーは「僕がいつもみているやつ」みたいな印象があった。AKBグループのメンバーのことなんてぜんぜん知らないのに。はるきゃんの姿も佐藤すみれの姿も「僕がいつもみているやつ」だった。
つい先日に最終回を迎えたAKB0048 仲谷明香の突撃ゲリララジオ!は、アニラジや声優ラジオの括りとしてちょっとは聞いたことはあったが、特別に興味はなかった(ところで仲谷明香は「ちとせげっちゅ!!」のニコ生で何度か拝見していて、AKBグループのメンバーでは一番よく知っているかただった)。上のニコ生をみたことで特にゲストに興味をもって聞くようになった。(ゲスト一覧:AKB0048 - Wikipedia
佐藤亜美菜は、白石稔とやっているニコ生(あみなとニコニコ。 - Wikipedia)で以前にすこしだけ見かけたことがあって、しゃべり方がいまどきの若い女性っぽくてこわい、自分には関係ないコンテンツだな、くらいの印象だった。でも「僕がいつもみているやつ」っていう気分でみると、ちょっと声に特徴があるだけの、ふつうのおもしろいひとにみえる。そういう第一印象があったぶん、かしこまったお話を聞いたときには驚きを感じた(佐藤亜美菜:AKB0048に出演して変わったこと - kiwofusiの作業ログ - kwfswsグループ)。
AKB0048 next stage 14話 先行上映会+仲谷明香の突撃ゲリララジオ!公開収録(2012年12月22日)では、動いているカレンちゃんをはじめてみた。年相応にかわいらしくておもしろくて、アニメに素直に感動して、それでたまにちょっと変態っぽい、つまりやっぱり「僕がいつもみているやつ」だった。中学生であることを知ったのがどの時点だったかは忘れたが、そういう背景や本人のお人柄を踏まえてアニメでの演技をみると、ちょっとした引っかかりがみんなきもちいい違和感にみえてきた。逆に、そういう背景があたまから消し飛ぶような輝かしい演技にびっくりすることもあった(たとえば、美森の襲名についての「変わらないよ」というセリフや、智恵理に対する「わたしは強敵だよ」というセリフ)。
ブルーレイ第1巻のブックレットにおけるカレンちゃんとカンださんの対談も興味深く拝読した。この「興味深く」は、まくらことばじゃなくて。アイドルの立場からみた声優、声優の立場からみたアイドルという像がうかがい知れる対談だった。すくなくともこの「AKB0048」においては、声優という職業ではないひとが声優という仕事をすることに(とてもあいまいな言い方しかできないが)意味がある、と感じた。岩田華怜×河森正治が語る、AKB0048対談を読んでもやはり同じことを思った。
これは「のなめん」とも声優とも関係ないのだけれど、「AKB0048」はウェブサイトの使い方がとても生き生きしている。ブログは劇中の世界観とキャラクターをうまく取り入れて運営されている。アニメ本編には出番のすくない襲名メンバーも紹介されて、設定の広がりを感じた(AKB0048速報順位発表!そして、、新キャラ?!|片桐ツバサ オフィシャルブログ「希望について」Powered by Ameba)。劇中で「総選挙」が始まってから、総選挙ポスターが公式サイトでみられたらいいのになあ、と思っていたとき、公式サイト開いたら総選挙ポスターが表示されて感心した。上から目線だけれど、「わかってるなあ」と感じた。このポスターをみることでアニメ本編もより味わい深くなった。たとえばこじはるのポスター見て「ガチやん……」と思っていたから、総選挙の結果にコメントするこじはるの姿にはなおさら胸を打たれた。(総選挙ポスターはAKB0048 公式サイトでランダムに表示される)
AKB0048」に対する個人の意見はあまり集めていなくて、バンダイチャンネルの一挙配信のときにひとのコメントをみながら実況したくらい。AKBファンと思われるかたのコメントは、自分には未知で興味深かった。だから、どんな観点をもっていようと、その作品を楽しむ姿勢には差別をつけられないなと思った。それにしたって「AKB0048」は清潔に語るのが厄介な作品で、僕と同じような、AKBファン以外からみた「AKB0048」の感想を探そうとすると、「AKBには興味ないが」みたいな前置きがあったりして(この日記もそうなんだけど……)、どうも引っかかる。都合よく考えれば、そのせいで「自分の目でみる」ことを意識したのかもしれない。
否定形を使わずに「AKB0048」を語りたいという欲求が思い浮かぶ(参考:死ぬまでに身につけたい技術:他のものを貶めないで褒める - 発声練習)。でも僕がこの日記を書くスタンスは、悪くいえば「のなめんにしか興味がない」ということで、言ってることは「AKB興味ないけどAKB0048はおもしろいよ」というちょっと嫌な意見と大差ない。←そして、こんなふうに僕は反省していますよアピールをみせつける浅はかさ。
しかし「興味がない」のはチャンスかもしれない。「興味がない」というのは単に「知らない」ことの結果に過ぎないこともある。「知らない」⇒「興味がない」。たしかに「嫌う理由がある」⇒「興味がない」という場合もある。でも僕はこっちじゃない。たとえば僕はAKBグループのあらゆる楽曲についての興味はもたない。そのほとんどを(意識して)聴いたことがないからだ。でも何度か聴いたことあるの「AKB0048」の劇中歌については、その物語的な意味をAKBファンから解説してもらえたらうれしいなあ、という興味をいまもっている。
僕には「AKB0048」は単なる20分×26話の映像作品じゃなくて、活動だった。総選挙のポスターを眺めながら総選挙「当日」を待つことは、「続きが楽しみ」以上の意味があった。自分が興味をもつなんてまったく予想していなかったことに興味をもちながら、作品の見方が変わっていった。僕の「AKB0048」はまだぜんぜん終わる気配がない。



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