書きかけシリーズ6.勉強しないのはカッコワルイから

学習調査:中学生以上で学習時間二極分化 民間調査[読売]
勉強は大人になって役立つ? 高学年ほど否定的琉球新報
勉強の意欲低下は「勉強カッコワルイ」という空気があるからだと思います。「勉強って楽しいね!」なんてことを言った日には(たとえそれがかわいい女の子でも)、周りから冷たい目で見らねかねません。受験を控えてピリピリしているクラスでこんなことを言ってしまうと、お前は何様だと思われるかもしれません(ここで「ご、ごめんなさい、あたし、そんなつもりじゃ……ふえーん」と弁解するかわいい女の子ならば問題ないでしょう)。
なぜ「勉強カッコワルイ」のか
では、なぜ「勉強カッコワルイ」という空気が生じるのでしょうか。
一つは、生死のレベルにおいて、勉強は無意味だからです。それなりのばかでも生活できるほど豊かになった今、文字通り死ぬものぐるいで勉強する必要はありません。個人的には、良いことだと思います。経済が発展したから勉強の意味が薄れた。これは仕方のないことです。もちろんこれは生死のレベルに限った話で、ここから勉強の娯楽化という活路がうかがえます。これはあとで述べます。
もう一つは、大人が勉強しないからだ。嫌々仕事して何も勉強しない大人の背中を見て、子どもが勉強するわけあらへん。という考え方です。大人に責任を押し付けるのは、子どもの僕からしてみればとても楽ちんな考え方なのですが、やはり生産的ではありません。大人の勉強の姿勢も大切ではありますが、結局、勉強するのは子ども自身です。だから、「勉強カッコワルイ」空気を打ち破るには、子ども自身の認識が重要になってきます。(たとえば、僕が勉強しないのは僕のせいだ)
「勉強カッコワルイ」というのは、つまり文化です。今述べた「経済」や「大人」なども含めて形成された文化です。「お受験」「受験戦争」「ガリ勉」などの言葉が示すように、勉強には不健康なイメージがつきまとっています。子どもたちは理屈では勉強の意味をわかっている(理解している)かもしれません。それでも理解が実感につながらないのは、文化がそのあいだを隔てているからではないでしょうか。
しかし、ここで「文化のせいだ」などと言ってしまうと、ますます責任逃れな感じがします。文化なんて変えようと思って変えられるのではありません。勉強するのは「個人」であり「子ども」なのです。極論すれば、大人がどう思おうと、文化がどうであろうと、子どもだけが「勉強カッコワルイ」という認識を捨てられればそれでよいのです。
小まとめ:経済や大人や文化はたしかに「原因」だが、改善の道はそこにない。
いかに「勉強カッコワルイ」を打ち破るか

(メモ)
教育、自分

正直なところ、生活が今以上に「豊か」になったり「便利」になったりすることが、僕には想像できません(想像力がないだけかも)。

社会における勉強の位置付けと『ドラゴン桜

(メモ)
なぜ企業は高学歴か


(後記:ドラゴン桜の批評は、いつかしっかり書きたい)

(メモ)

学ぶ意欲 文化
勉強は嫌々やるものという風潮
アンケートのときに抵抗
すなわち成長
文化の問題である。
カサさんのやつ。知的好奇心、もっと難しいの、でもおもしろうそうなの!
カリーさんのやつ

教員のサラリーマン化[やえ一四歳](一軒家@メモ帳より)
ゆとり教育(前編)(後編)[もなみ9歳](一軒家@メモ帳より)
学級崩壊はしつけでくいとめられるのか?Child Research Net Top Page](成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN―より)