「場のあり方を強制するアーキテクチャ」をだらだらと書き換えたもの。というか「世界と場の認識」と「ウェブという世界と場の模索」は読み返すとおもしろい。一方さいきんの文章は良くないのではないかと、気分が沈む。

あの日、VIPピアノを聴いていましたけれど演奏が終了しましたので、ネトラジのほかの番組をいろいろと巡りました。そこで女子中学生の声を聞いていまして、いつものように、よいものであるなあ、と感じるわけです。そのような女子中学生に対して性的な話題をぶつけたがるのは、どうしてもない男の愚かさであるなあというのも、一部の純朴たる男性の方々にご迷惑ではありますが、おおむね仕方のない現実でございます。かくいう僕はどうなのかと考えてみますに、僕は乙女であると思いたがっているつもりなのですね。「僕は乙女である」とはどういうことかと考えてみますに、「じつは僕は女性である」ということなど、ほか八十四通りほどのさまざまな意味合いが考えられるのですが、およそ「彼女が乙女であると信じる乙女らしさ」であります。そうそう、きょう下校中に同じ学校の女子高校生が友達に「もっと乙女をもちなよ」と話しているのを耳にしました。なるほどそのような用法もあるものですかと納得し、あの、彼女たちは「がにまた」についてしゃべっているようで、僕は歩き方というものにはあまり頓着しませんし、どちらかというと「物腰」にこだわっているというかすてきであるなあと感じることが多くございます。さて「物腰」というのはどのような性質までをも含むものでしょうか。話し方や態度、それらを総合した全体としての何か、ということではありますが、はあ、まあそのようなあいまいなものですし、「彼女そのもの」というのはどうでしょうかというか強引ですかそうですか。視覚的な趣向を申しますと、僕は自転車に乗っている女子高校生が好きです。信号待ちのところで足を地に着けているときに露わになる内腿のすばらしいことすばらしいこと。歩いている女子高校生にも魅力を感じます。やたらにスカートがなんといいますかぱたぱたしているのをたまに見掛けまして思うに、あれはどういう要因によるものでしょうか。こころがぱたぱたしている女子高校生のスカートだから、ぱたぱたするのでしょうか。非科学的ではありますが、女子高校生とは科学を超越した存在であります。ですから、その、女子高校生や女子中学生の声がインターネットで身近に気軽に聞けるようになりましたもので、じつはむかしからそうである気がするのですが、インターネットの技術というのは体感するまで実感できないものですから、というか技術とはえてしてそうでして、あらためてネットラジオという楽しみに触れてこころ躍る次第でございます。さてここにインターネットの技術の不思議さがありまして、科学技術といういわば深海に浸されたこの現代におきましても、ウェブという世界は意外と素朴なものにも思われます。もちろん仕組みを説明できるほどの知識は持ち合わせていないのですが、なんというか、記号を記号のまま遣り取りすることがほとんどで(「声」の伝わるネットラジオは特殊に思えるのです。文字情報の送信と原理的には同じなのに)、ずっとむかしから、まあ僕は若者ですからそう感じるのかもしれませんが、変わっていないようです。しかし「日記」に向ける意識と「ブログ」に向ける意識は、大きくかどうかはひとそれぞれですが、異なっています。「ソーシャル」というのもくせものです。ウェブがソーシャルであることは、ひとによっては欠かすことのできない前提であったり、意識するべくもない瑣末な事項であったります。しかしそういうのでなく、技術的なシステムをソーシャルと名づけるのですね。ブログというシステム、ソーシャルというシステム、それがひとの意識を変えるのです。やってること変わんなくても、です。ここに一枚のチラシの裏があります。それをなんとよんでもけっこうですし、実際、どのような機能をも果たしえます。ここに一枚のチラシの裏がある、それでよいではないか。そうでしょうか。ここに一枚のチラシの裏があることを自覚し、それ以外のものを手にせずに何かを営みつづけるひとはいるでしょう。しかし、しかし……えっと、その、なのです。チラシの裏にはじめて絵の具を塗るひと、はじめて規則的な罫線を引くひと、はじめて宛名を書くひと、はじめて折り紙するひと、はじめて鼻かむひと、そういうひとたちはあの、天才というのは違いますが、おもしろいひとたちです。キャンバスが生まれたり、原稿用紙やスケジュール帖が生まれたり、葉書が生まれたり、金・銀の折り紙は折りにくいですし、鼻セレブというのは生意気であるな、と思います。キャンバスとよばれるものを手にして、ひとは意識します。ここに絵を描こう。しかし僕の技術では一枚のチラシの裏にへちょへちょと線を引いたり折りたたんだりすることしかできません。これからしばらくもそうでしょう。科学を支えるのは哲学でしょうか。おやおやろくな飛躍ではありません。お後がよろしくございません。