いま僕はなぜノベルゲームを楽しめるのか

いろいろとノベルゲームの体験版などをやっているのですが、楽しくてしかたがない。幸せです。
もともとノベルゲームは性に合わない。時間を支配するメディアというのが苦手だ。映像メディアほどではないが、ノベルゲームは読み手の時間的な自由を縛っている。僕はそれが気になる。気になっちゃう。
だから、ほんとうにうまく時間を支配してくれる作品は、むしろすばらしく感じる。時間を支配するという物語システムは僕にとってたいそう重々しいけれど、はまるとすごいんです。
ウェブで書く文章をじっくりと読んでもらうことはあまり望めない。そういう常識に慣れているから、時間を支配する手法に抵抗を感じる。それでも、意図的に読みづらい文章を書いてみることもある。じっくりとしか読めないシステムに意味を組み込む。どうせ読まれない。
いまの僕が思いますに、読み手の時間を支配するのがノベルゲームのおもしろさだ。というのは建前の理屈で、もっと率直には「受験を控えているのにコンナコトをしているという微妙な罪悪感」が最大の理由であろう。微妙な、というのがポイントで、これがただの罪悪感になってしまうとまずい。
勤勉と娯楽は両立できるか。なんたる愚問。勤勉を翻した娯楽の楽しみは、なにものにも代えられない。いささかの勤勉に支えられてこそ、質の高い娯楽を享受できる。僕にとっての良質な娯楽は、勤勉により成り立つ。なんて、そんなの、ただの良い訳だ!
もっと良い訳してやる。これはあれだ。科学的にはポジティブレストというやつで、勤勉に集中するためにも「良質な休憩」なんだ。だから問題ない。
怒涛の良い訳。弁解の嵐。なんとなく体言止め。
おちがつかない。マジックワード、おあとがよろしくて!
推薦。