秘書としてのブロガー

忙しい偉いひとが秘書に本を読ませレポートを書かせたりするらしい。情報は効率のいいかたちで存在するわけではない、ひとの脳みそを通すことで利益を産むことができる、ひとりの人間にできることは限られている、だからこそ僕はだれかに何かを与えることができる、などと思った。
最近になって勉強会という概念に触れた。大学生なので自主ゼミって言ってもかっこいい。まずゼミという概念もろくに知らなかったわけで、それに学生たちが何か勉強みたいなものをする風俗というのは文化系サークルならありえるのかなあみたいな局所的な認識だったので、勉強会というものがじつに新鮮だった。
本当に大切なことは自分で学ばなければいけない、なんていうのは直感でわかるけど、ひとから教えてもらうのもおもしろい。そして、教えることも。自分の脳みそは限られているけど、ひとの脳みそと協力することで、もっといっぱいみんながいろいろ得ることができるんだなあと、なんとなくだけど気づいた。
ブログもそういった意味で「先生」になる。「自分のこういう記事にこういう言及をした人がこういう本をこういうふうに読んでいる」という情報*1って、勉強会における「先生」にとっても似ている。
極めたいわけではないけど、教えてもらいたいこと、なら、いっぱいある。それを怠惰と切り捨てる道理なんてないよね。教えてあげたいというきもちと裏表なんだ。それは個を越えたものを目指すこと。
でも、やっぱりばくぜんとブログをやって、読んで、だと噛み合わないもの。べつにブログにこだわる必要もない。結局のところ、個と個の関わり、興味と興味の結びつきに行き着く問題なのだと思う。だから、あなたを知りたいし、わたしを表したい。