こころのなかの出来事でした。

Twitter / ぴをふし: 09:52 PM December 09, 2007
どうせ会わなくなる でも さっき見かけたきれいなひとには たとえば もう二度と会わない ならば あなたにあと何度会えることだろう 夢が 広がる

4年生が卒業する。先輩たちと卒研発表をみた。僕は来年、3年生の卒研発表をみることができる。でも、その先輩たちは、僕の卒研発表にはたぶんこれない。それを惜しんでくれることがなんだかうれしかった。同じく、僕もまた1年生の卒研発表には行けないことに気づいて、まだ1年生とはたぶん2年間はいっしょに同じガッコウで暮らすのに、なんだか距離を感じた。
単にいっしょにイベントを楽しめないということ。コンテンツの話じゃない。でも、もし覚えていてくれるなら、望んでくれるなら、イベントに依存しなくても発表はできる。逆に、望めば、応えてくれるだろうか。つまりは「機に頼っている」という、はかなくて勝手な思いをもつことの情けなさ。何を望んでいるかを真剣に問うことは諸刃の思い。
ところで、会いたいなら会える、という考えは相手を想定から外すことでもある。たとえば、相手が自分から逃げるという可能性は考慮しない。僕は会いたいけれど、相手にとっては迷惑かもしれない、なんて考えたら、その時点で「会える」という言葉はガタガタと崩れる。そういうこと、最後の一手で破綻する。
つまりウソなんだ。
僕はいつも思っている。
いつも口をつぐんでいる。
あなたに会いたい。



じつは会える - 反言子
何を言っているんだろう - 反言子