サーベイは流行りの感覚を味わわせてくれる

研究について調査すること、または調査した文献をサーベイという。どんな研究をするか考えるうえでもサーベイすることが大事だし、そのための手がかりとして適切なサーベイがあるとありがたい。理想的には、サーベイすることは、サーベイにあたることだ。Wikipediaが文献を探す手がかりとしてはあまり否定されないように。
サーベイは一本や数本の文献を数行でまとめてくれるので、読みやすく、難しい。それら研究の関わり合いを教えてくれるので、全体像がつかめる。歴史的な推移から、原点や可能性を示してくれる。これらの知識は、ふつうなら研究に広く深くあたってはじめて捉えられる、流行りの感覚である。著者の視点をお借りして、それを擬似的に体感できる。
まとめることは劣化コピーではない。もしかしたら圧縮され捨象された情報が、新しい関係でつなぎ止められるから、拾うところもある。それがまとまりをもつと、流行りの感覚まで再現してくれる。まとめることは生産だ。
もちろん、サーベイから得た感覚は近道にすぎない。著者の視点から離れ、現在に立脚し、自分なりの感覚をつかんでいかなければ説得力をもたない。
サーベイは客観的なまとめとも思えるが、流れをかたちづくることだから、むしろ極めて主観的で主張的に書かれているかもしれない。それを見分けることは難しくない。というより、それがふつうだ。だからおもしろい。そして手がかりを越えた利用は許されない。
サーベイはわたしに時間を与える。サーベイを書けば、ひとに時間を与えるかもしれない。