心の科学における「内観」に関する下調べ

考えたいこと

心の科学を展開するうえで、自分のきもちや考えについてじっくり考えること(内観)は不可欠だと思う。それは、じっくり考えることについて解明する方法にはじっくり考えるプロセスが不可欠であるという直観と、ひとをたくさん集めなきゃいけない心理学実験の大変さに馴染めそうにない、という情けない理由もある。
というわけで、心理学や認知科学において内観という方法がどのように扱われ、心を解明する科学的な方法としてどのように武装できるかについて考えたい。つまり、心の科学には内観が必要であり、また内観(に基づく方法)は科学的な方法である、という意見と、その根拠をもちたい。
のですが、今回はとりあえずおおざっぱな背景を載せておく。

ごくごくおおざっぱな心の科学史

19世紀以前:心の哲学
19世紀末:現代心理学の設立。内観法:言葉をデータとし、心を分析する。心と言語の不一致、無意識の問題、乳幼児・動物の心を扱えないという弱点をもつ。
20世紀初頭:行動主義。刺激と行動の結びつきを観察する(実験的アプローチ)。
20世紀後半:情報処理アプローチ(モデルベースアプローチ、構成論的方法)。モデルの原型構築に内観法が積極的に用いられる。
認知科学の目的:現象を記述するだけではなく、その現象を説明する理論を明らかにする。

参考:『環境のオントロジー』第1章(三島博之)、三輪和久(名大)「仮説演繹器・認知シミュレータ・データ分析としての認知モデル」人工知能学会誌24巻2号