「総合学術辞典フォーラム」参加報告

5月9日総合学術辞典フォーラムに参加してきました。東大のこぎれいな建物の地下でやったのですが、ケータイもPHSもつながらず、会場の無線LANも調子が悪くて阿鼻叫喚(笑)でした。
武田先生と三宅先生を初めて拝見しました。名前を存じあげている研究者を生で見るとなんだかうれしい。岡本真さん(@arg)にもごあいさつできました。

ノート

たいへん雑多ですが、どなたかの参考になるかもしれないので個人的なメモを公開しておきます。内容には聞き間違いや誤解が含まれていることをご了承ください。とくに議論のメモは、実際の発言者の口調とはかけ離れています。
以下の記事はhttp://d.hatena.ne.jp/kiwofusi/20090527ですべて表示されます。

  1. 「学は何処より来たりて何処へ向かうのか?」原島 博(元東大)
  2. 「オントロジーに基づく学術辞典の設計」橋田 浩一(産総研)
  3. 「百科事典・専門辞典を基点とする情報アクセス」高野 明彦(NII)
  4. 「Web時代の学術情報流通の方向性を考える」武田 英明(NII)
  5. 「大学の知を教育現場が使える形で発信する試み」三宅 なほみ(東大)
  6. 総合討論

感想:誰のための学問?

個々の講演・サービス・議論はとてもおもしろかった。
しかし、フォーラムの趣旨を振り返ると満足しきれないところがある。どうやって辞典をつくるか、については十分な議論がおこわれた一方、辞典のありがたみとか、問題解決における辞典の位置づけについて疑問が残った。

総合学術辞典フォーラムのお知らせ 地球環境問題や少子高齢化など、ますます困難になりつつある社会的課題を解決するためには、従来を上回る規模での科学的知識の体系化とその社会的共有が必須と思われます。それには、研究領域のタコツボ化を防ぎ領域間の融合を進めつつ、一般市民が学問的・体系的知識の共有・共創に参画できるようにする必要があるのではないでしょうか。

新しい社会的問題に対して分野の垣根を越えたアプローチが求められるのは確かだ。そのときにある程度体系化された知識はきっと有用だ。かといって、知識を体系化するだけで異分野の研究がコラボレーションできるとも思えない。研究者や成果を結びつける仕組みがあったほうがいいし、知識の体系はあくまでそのベースだ。新しい問題を解決するための方法と、そこでの知識の体系や辞典の役割についても考えたい。
それはスケールのでっかい話としてさておき、もうひとつ、学問における一般市民の位置づけについても踏み込んでもらえるとうれしかった。そう思うのは、僕が未熟な学生であり、ここに集まった研究者のみなさんに比べて、よほど一般市民に近い立場にあるからだ。学生や社会人にとって本当にありがてえ辞典ってどんなのだろう。専門知識に欠ける我々があえて学問に参画しなければいけない理由はなんだろう。
三宅先生が大学生に認知科学事典を使ってもらう実験をおこなっていたのが興味深かった。学生とか一般市民が辞典をうまく使うのはきっと難しい。この実験は、うまく使ってもらえる辞典でなければ価値がない、という問題を提起しているようにも感じられた。学際的なアプローチの基盤になる辞典をつくるなら、専門家だけにしか使いこなせない辞典ではいけない。
辞典は知識を体系化するという目的をもつ。それはすばらしいことだと思う。一方で、もっと現実的な意味での目的、すなわち辞典を使いこなして役立てるシナリオみたいなものを、これから検討していく必要があるのではないかと思った。