講演メモ:「総合学術辞典フォーラム」総合討論

総合学術辞典フォーラムより。
まとめ:「総合学術辞典フォーラム」参加報告 - 反言子

総合討論

まず橋田先生からサービス工学をネタにした話題提起。

橋田、提題:サービス工学から学問2.0
科学:仮説・検証サイクル、難しいことをやるんじゃない。サイクルを回して修正していく。ポパー:進化システム。
サービスの粒度:提供者→サービス→受容者→効果→観測者→要請→設計者→提案→提供者のサイクルだが、その中のサービスにもまたサイクル(相互作用)がある。→課題解決でなく課題提案型の研究?
サービス工学:C0,1,2の多重なサイクル
オントロジーの多重性? 辞典(オントロジー)をつくる、(メタ)オントロジーをつくる

地図があると学習が促進するか。

原島「辞典はボトムアップ。項目ありきでメタに向かっていく。俯瞰講義は逆。はじめに全体がある。科学は細かいところから法則をみつけていく。しかし学習では現象を見せるところからはいっていいのか、それとも地図を見せるべきか。」
三宅「地図見せたらうまくいくか→はじめはいいといわれたが、あんまりうまくいかないw 地図だということがわからない、おもしろさがわからない。(原島:前段階に何が必要なのか?)地図をもとにどこかにいくための方法がわからない。地図を見せてうまくいった例がある。武田先生の講演などがそうだった。(武田:苦笑) 地図の意味をうまく見せられれば成功する。
原島輪講。大変だったから文献の1ページ目だけ取ったよ。分類したよ。みつけたいテーマが見つかるぜ。全部読んだら何も話からなかった。」
武田「オントロジーはまさに分類。人間は分類する能力をもっている。他人の分類はわからんけどね。ひととはギャップがあるが、マッチングをいかにするか。オントロジーの難しいところ。分類を強要する。理解のために分類をもってしまうこともある。分類をトップダウンに受け入れるのはむり。かといって、オントロジーはひとつの型にはなる。」

オントロジーの構造のあり方、変化へ対応について。

原島「分野が廃れたのがおもしろい。なぜ? これから研究をするのだから。学問の時間的なシナリオ。そういう話がオントロジーにどう入るのか? 知は断片的なつながりだけじゃなくてシナリオがある。」
橋田「明確に捉えられないものがある。辞典をつくるなかで構造を作り直すことはあるだろう。どういうふうにつくりなおすか……」
原島オントロジーをつくりなおすことになる。時間を含むものはない?」
橋田「派生はとれる。より一般には、はみ出してしまうものがあるから、オントロジーの変化をみるしかない」
高野「僕は辞典はそんなに。学問のプレイヤになるのはそのひとの方法論やシナリオや用語のセイドみたいなものをトレーニングで自分のものにして、そのロジックで議論できる、分野の相場を獲得することが大事。学会が同じ話題を繰り返せるのは、のりがちがう(?)。辞典がおもしろいのは、分野が違うと(e.g.化学と物理学)同じ言葉でも精度が違う。(僕は数学の落ちこぼれだが)数学は言葉の精度が一番厳密で、それに触れられてよかった。定理をいろいろ示すとか、別の定理との関わりをみつけるとか。いったいきたりを繰り返すことでわかる。これを何回か経験した。オントロジーみたいなべたなつながりは幻想。作法を学びながら考えるのが大事」
橋田「たしかに静的な構造だけではわからない。その手がかりを残さないと。言葉の精度の違いって簡単にわかる?」
高野「いろんなメディアをつないだときに知識が動き出す感じがする。どういう+αがあれば論文になって、ならないか。それがわかる。」
三宅「人文科学は同じ研究をやっていても名前が変わると云々(?)。オントロジーは自分と外部のあいだをつなぐもの。conseptualy dependentな説明ができれば。そういう表現はどこかにほしい。そういう表現を求めるのよね?」
武田「逆で、情報システムのオントロジーは、最小限のコミットにしておく。中身はわからない。深い理解はオントロジーには期待できない。哲学ではそうだけど。(三宅:ミニマムというのは本質ということでは)大きな期待はかけれない。どうやったらわかり合えるかを学ぶのが学会なのかな。その分野での理解の仕方を学ぶこと。」
原島「一般化すると、システムになる部分と、システムをどう使うかというリテラシーのバランスをどうするのか。場合によっては使うひとの能力を下げてしまうかもしれない。視野が狭くなる、考えなくなる。発見したものをどう使うか。システムはミニマムであるべきかも。どこまでを人間に任せ、何をシステムがサポートするか。情報量が増えるからシステムのサポートは必須だが、全部やるのが目的なの? リテラシーまでいっしょに議論しないと」
橋田「使いやすいツールは、凝ったものよりも、エクセルみたいなシンプルなものがいい。そろばんと電卓。そろばんは暗算もうまくなる。電卓は……(原島:電卓もすごいひとがいる)道具にもちからを引き出すものとそうでないものがある。オントロジーはそろばんのようなものになるべき。そろばんを使っていかにリテラシーを高めるか。」
会場「心配しているのは、オントロジーのフォーマットをきれいにつくって、変えたくなったらどうするの? イメージがわからない」
橋田「でかくなると簡単には変えられない。オントロジーの拡大はパラダイムシフトみたいなもの。以前のものを捨てて新しいものに乗り換える。レガシーシステムをつくりかえるときは、新しいものを平行動作させる。オントロジーの変革も、似たようなことをやらないと。方法論はまだない。」
武田「KAKENでは人手でリンクづけしている。大規模な変化はないので。本質的な解決ではないが」

オントロジーは知識や理解の本質に関わるのか。

会場「本当のものを知りたい。オントロジーは妥当さを構成する手がかりになるのか? ゲーデル不完全性定理みたいな。本当の知識ってどうやって構成するのか、それにアプローチする方法は? わかんないものを追っかけていって、どうやってわかっていったのか。オントロジーで迫っていけるか」
橋田「理解の仕方をオントロジーを使って社会的に共有できるか、ということ?」
三宅「ない、かも。ひとの知識のうえしか理解できないんじゃ。わかってくる過程をふみいれないと(?)わかってこない。」
原島「辞典にほころびをつくっておいてほしい。ほころびは気にある。きれいにしようって考える。自分自身を否定したっていい。」
橋田「完璧なものは自分にはむりw 科学は仮説にすぎない。そういう覚悟のうえでの研究、そこに立ち戻ろう。辞典だって仮説。オントロジーにもベストはない。その前提でみんなサイクルを回し続けられたら。」
会場「新しい辞典・オントロジーの姿。ほころびをひきずりながらいってくれれば。地図はあくまで地図で、地理じゃない。」
会場「わかってないことを理解できるのが大きい」

知識や学問の発展のあり方について。

会場(岡本)「ヤフーの検索エンジンづくりの話。ヤフー百科事典を始めて、業者と話すとポリシーに差があって、執筆者を公開するかしないか。執筆者が偏っているところがある。個人的な説もある。それがよいところかも。Wikipediaがよくできているのは、知識がどんなプロセスを経てつくられるかがわかる。今後の辞典で配慮されるべき。もうひとつ、ARG。日本語の学術リソースはすべてみている。日本のWebアカデミックコンテンツが理想から遠いのは、つくっているひとの顔が見えにくい。いろんなひとを介して通説が出てくる。それが日本の学術情報発信からはみえない、成果だけが強調される。Webなら向いているのにね。」
橋田「うまいこといっちゃったw 辞典じゃないほうがいいかもね。本当のことが書いてあるんじゃなくて、仮説がいっぱい書いてある。いきさつや対立がわかれば。仮説を考えたことをアピールしたほうが価値があるかも。その変化も。」
原島「進化させるとき、改訂のプロセスが問題。書き換えるとき、まえに書いたひとに了解をとらないといけないかな? 通信学会では、ログをとってどんどん書き換え。それでもいやがるひとがいる。書き換えと著作権の関係。」
橋田「情報処理学会でも締め切り。編纂会議やるよ。書き換えを前提で書いてもらうつもり。」
原島「外部リンク自由。最先端技術は外す。知識ベースだけは残す、変わらない。」
会場「サイエンスゼロという番組で、アポトーシスの話題。細胞の死と人間の死を結びつけるのはいかがか。オントロジーは通常科学のためのもので、アナロジーを阻害するのでは。ほころびをつくるのは対立するのでは。」
橋田「型にはめることは創造性にどう影響するのか? シュハリみたいに、まず型。基本的には正しいと思う。」
高野「いろんな学会を巻き込もうとしたとき、議論の精度、具体例のモデルが違うものが、ごっちゃになる。それがみえるのを期待している。それがアナロジー、新しい発想になる。ひとつの問題を別の見方から俯瞰的なビジョンが得られる。アポトーシスを社会とかにたとえて、議論する。」
武田「オントロジーはミニマムコミットメント。しかしWebだとまちがった解釈→いいイマジネーションを生むかも、とポジティブには考えられる。専門知識にほかの知識が入ってくる。えせ科学に利用されることも起こりうる。Googleで論文が探せるのも、アブユースを生む。問題として、学会として考えておくべき」
三宅「オントロジーがわからないかも。辞典、the ontologyはあったらいいなあという仮想で、アナロジーは世の中にいっぱいある。オントロジーが知識を支配するのは、いまはまだ。」
原島「ネットに載せる良い点は、ほかのひとが勝手に利用できる。使い方を決めるのでなく、利用するひとがつくりかえる可能性もある。これからつくるのは素材、そこから新しい辞典ができあがってもいい、できるほうがいい。橋田信者のひとは橋田辞典にいくw 自分の編纂辞典をつくれっていう課題を出したっていい。そういうことが可能になればいい。学習という観点からはこれがいい、研究という観点からはこれがいい、みたいなものが出れば
橋田「学問2.0のユースケースが出たのでは。ありがとうございました」