幸福に生きない脆い童貞
「素晴らしき日々」というゲームに「幸福に生きよ」というメッセージがある。これは作品の「表のメッセージ」だと思っている。裏もある。けれど、表である。僕はこの表のメッセージに、いくつかの言い換えが浮かぶ。内側に生きよ。生に生きよ。思考・言語・論理に生きよ。こころに生きよ。自己に生きよ。認識に生きよ。ど、どちらかと、どちらかというと、これらが表のメッセージであると思う。ついでなので裏返す。外側に生きよ。死に生きよ。語りえぬものに生きよ。世界に生きよ。他者に生きよ。存在に生きよ。これはべつに哲学知識に基づいていない素朴な構造であって僕がわかった顔をするための単純化に過ぎない。
この表のメッセージ、ずいぶん優等生的で、それが美しい場合(ルート)も感じたけれど、肩すかしというか、え、結局、という感じがした。音無さんが無意味な数字列を詠唱したとき、これは壁、ターゲットだとわくわくした。だれも言ったことがない数字列はしかし内側でしかない。いまからその境界を越えていくのではないかと期待した。そういう態度をある主人公は童貞に喩えた。ならば優等生のメッセージは、ずいぶんと下品に読み替えられる。けれどまあ、表が表として成り立っているところが、抜け目ない。
じゃあ裏のメッセージの体現者ってなんなんだっていうと、死に生きられないならもう死ぬしかない、というひとなのかもしれない。死なぬために、死に生きるしかないひとだ。でもふつうのひとはそこまで至らない。脆い童貞である。
連想元。
中島義道『働くことがイヤな人のための本』p.31(単行本版)私は自分に尋ねた。だが「私は書くことをやめたら死ななければならない」と言うことはできなかった。そして、書くことをやめた。それでは、私は何をすべきなのか?
中島義道『働くことがイヤな人のための本』p.174(単行本版)(前略)よく生きることは幸福を求めることを第一の目標として生きることではないということだ。「よく生きる」とは「幸福に生きる」ことではないことを知ること、それが決定的に重要なのだ。
それは何かとさらに問えば、何はさておいても第一に真実をめざすという態度のうちに潜んでいる。(中略)そして、その要に「死」が位置する。幸福になるために「死」から目を逸らすのではなく、いかに不幸になろうと「死」を見据えて生きる(後略)
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