名前/作品名

タイトルの短い新書は良書だとという『新書がベスト』の指摘になるほどと思った。
作品の名前は説明をする。短い説明は範囲が広い。長い説明は範囲が狭い。新書の範囲のうつわ、200ページに手頃な範囲のないようというものが(ひとそれぞれ)ある。広いうつわに狭いないようを入れるのが嫌いなひとがいて、そのひとには短い名前の新書はうつわ/ないようバランスがよくなる。
作品名は説明するが、ひとの名前、ところの名前はあまり説明しない。名づけ主はだいたい説明を込めたがるかもしれないが、説明を目的とはしないだろう。ということで、ひとの名前と作品名、これらはどちらも固有名詞でありながら、ずいぶんとおもむきをことにする。
タイトルの短い新書が良書であるとして、そのタイトルはひとの興味をひきやすいだろうか、それとも逆だろうか。タイトルは具体的なほうがひとの興味に触れやすいように想像できる。
構成的理解という日記を書いた。この日記の名前は範囲のうつわが大きい。ないようはそれにふさわしくない。けれど大きなうつわの名前にするのは、そのほうが取り回しがよいからだ。取り回しというのは、書いた日記を思い出したり、ほかの日記から参照したりだ。具体的には、名前をアンカーテキストにしても邪魔がない。
うつわの大きい名前はテーマとか主題とかいう。うつわの小さい名前はメッセージとか主張とかいう。ある作品には主題もあれば主張もある。それらはあるからだをべつの角度からみた側面だ。それぞれが一個ずつとも限らない。どちらのほうの、どれを選ぶかは、どこに顔を向けるかだ。
感覚として、主張は文脈に依存する。主題よりかは。ある作品に、主題の名前があって、それが文脈やほかの作品との接触をもったときの、その接面において主張の名前が浮き上がる、というすがたが、きれいに感じる。
逆に、作品に接するとき、その作品に主張の名前をみずからつけることができる。ということは、主張の名前はあとから発見されることもある。作品を、主題の名前に抑えることで、作品の主張可能性を認知的に制限しないという意味もある。作品に接触を待たせるような企てだ。興味の保留ともいえる。おもむきがある。

新書がベスト (ベスト新書)

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