暗黙知

暗黙知:全体を認識することは、いくつかの部分の組み合わせを認識することで到達できる。というようなことは、ふつう思われない。全体を認識することは、ただ全体を認識することだ、と思われる。思われていない「いくつかの部分の組み合わせを認識すること」が暗黙知である。
暗黙知は目的において隠れている。暗黙知を知ることは目的において邪魔になる。しかしそれは目的をすでに知っているからだ。わからない目的を実現する流れ:目的に隠れた手段を暴き、目的を忘れ、手段を知り、再び手段を忘れ、目的を思い出すことによって。暗黙知は、隠れたり現れたりする。新しい目的を為すことは、暗黙知の翻りに戯れることで成る。
暗黙知は、いま忘れられている知だ。忘れられた知、というと諦念を感じるが、そうではなく、思い出すことのできる知だ。しかしまた忘れなければ知が先に進むことはない。新しい知は暗黙知を忘れた成果として現れる。新しい知にとっての暗黙知はたとえば方法という。方法を実践するとき、方法は忘れなければならない。たとえば基礎ともいう。
ダイナミックに捉えるなら、暗黙知とは、忘れと思い出し、隠れと現れの狭間によぎる尻尾だと思う。



暗黙知の暗黙っぷりについて - 反言子
暗黙知のリバース・エンジニアリング:全体←部分←部分← - 反言子