齋藤孝『読書力』

読書力読書力
「3色ボールペン」で有名な齋藤孝氏の著書です。読書の意義を自己形成として捉え、自分を鍛えて世界を広げることとの関わりが述べられています。文庫100冊、新書50冊の読書経験を「読書力」と明確に定義し、そこに到達するまでの過程を見出すための手掛かりが、随所にこめられています。巻末には著者の勧める文庫百選もあります。

本は僕に話しかける

本というものは、同じ物がいくらでもあります。それは出版技術が発達したことを意味し、大変喜ばしいことでもあります。しかし、自分にとってのその本は、たったひとつの価値であり、自分だけの価値であるのです。

本書15ページより、強調引用者

私は本を読むときに、その著者が自分ひとりに向かって直接語りかけてくれているように感じながら読むことにしている。高い才能を持った人間が、大変な努力をして勉強をし、ようやく到達した認識を、二人きりで自分に丁寧に話してくれるのだ。

すばらしい考え方だと思いました。本の著者はそこには存在しませんが、文章というかたちで、実質的にそこに存在しているものだと思います。彼(それ?)は自分のためだけに存在しています。そう認識することではじめて得られる教訓や共感もあるはずです。

これは読書に限らず、人とのあらゆるコミュニケーションについてもいえます。

本書59ページより

人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて育まれる。身の回りに優れた人がいるとは限らない。しかし、本ならば、現在生きていない人でも、優れた人との話を聞くことができる。優れた人との出会いが、向上心を刺激し、人間性を高める。

齋藤氏は、深く話をとらえるときには、真剣勝負で向き合うときの緊張感を持って話を聴くべきであると述べています。読書についても同様で、線を引いたり、書き込みをすることが、それに当たります。

重要なところはどこか。自分の感じたことは何か。そういったものを深く見つめることで、より効果の高い読書につながります。そして、その経験はより優れた自分を生み出します。

アニメを見るとイメージ力が廃れる?

人間というのは観念的思考ができる生物です。つまり、イメージ力があるのです。小説を読んだり、音声のないギャルゲーとかをやったりしていると、そのキャラに対する印象ができあがり、無意識のうちに声まで音声化されているでしょう。

その結果、作品がアニメ化されたり、音声化パッチをあてたり、同人ドラマCDを聞いたりすることで、「なんじゃこりゃ(  Д ) ゜ ゜ 」とイメージとのズレを感じたことがある人もいるでしょう。そのときは興ざめかもしれませんが、人間の持つイメージ力を証明している結果でもあります。

アニメや映画を否定するつもりはありませんが、マンガや小説を読んで、もんもんとした想像(妄想?)をして萌えるのも、また一興ではないでしょうか。

友達とのおしゃべりを建設的にするモデル

僕は話ベタなんで、(実際に使えるかは別として)下記のコミュニケーションのモデルは、とても参考になりました。

本書155ページより、強調引用者

言い換えにはコツがある。抽象的なものは、具体的なものに少し直し、具体的な発言に対しては、少し抽象度の高い言い方で言い換える。

(中略)

一般的な発言に対しては具体例を、具体例を相手が挙げれば、それを一般化する。こうしたやりとりによって、幹を失わない、しかも起伏のある会話ができる。

(中略)

会話をしていて相手が喜ぶのは、自分のいった話が無駄に終わらずきちんと相手に届いて、しかも生かされていると感じる場合だ。(中略)自分の発言の中でも、重要だと自分が感じていた言葉(キーワード)を相手が使ってくれれば、それだけでも会話に勢いが出てくる。

このモデル(事象を一般化したもの)を元に、実際の会話の例(具体例)を考えてみました。

(A君:一般的な発言)人間ってなんかスゴいね

(B君:└→具体化)見えもしない神様のこととかを考えしたり、機械を組み合わせてネットワークを作ったりするからね

(A君:↑抽象化)観念的思考力や、物事を応用をするひらめきがあるんだろうね

(B君:具体例提案)それで他の動物の社会とはどう違ってくるのカナー

(A君:具体例返答)う〜ん。たとえば、……。(以下、話が深まっていく、なら良いなー)

抽象から具体へ。その具体から、さらに深い抽象へ。まさにスパイラル!m@(゜д゜)

こんな感じでしょうか(´д`;) 友達とのおしゃべりで、こんな高度な会話が行われるかはわかりませんが……。おしゃべりが苦手な人は、相手のいったことを自分の言葉で言い換えてみることからはじめてはどうでしょうか。