完成体をつくろうとするセカイ系的衝動

さいきん好きなのが野中藍さん*1。それと、山田相子さん*2。困っちゃいますね、受験生なのに。生来、我慢を排し怠惰に徹したわたくしですが、さすがにいまはまずいと思うのです。
この感覚、あれですよね、恋です。なるほどなあと思いました。
わたくしの文章が少なくて物足りない思いで日々もんもんとしているかたもいましょう。少しお話をしましょうか。
電車に揺られているときや、お風呂で一心不乱にシャンプーをしているときに、もっとも活発になります。何がかというと、記録や組み立てのしばらみからのがれて思索をめぐらすこと、で、それを妄想とよんでおります。萌えについての哲学などが多いですね。とてもまじめです。
ある満員電車でした。参考書を広げる余裕もないため、いつものように妄想をしようと思います。ですがセンター試験が迫っていますから、数学の妄想をしよう、と、おやめずらしい、わたくし、思ったわけです。あたまのなかでベクトルがうねうねします。驚きました。けっこうわたくし、ベクトルのことを妄想できます。

何が驚きなのか。まず、問題ありき、という認識でした。問いっていう、記憶のトリガーを与えられて、はじめてうつろな記憶を引き出して問題を解くことができる。せいぜいその程度の数学力であると自覚していました。

評論を読み解くのはとても難しい。それなりによくできた評論を書くのは、でも意外とありえることだと思いませんか。とりあえず文章を書いたら、よくみると構造になっている。盲信でしょうか、おのずと評論になっているのです。もちろん、優れた評論家はみずから構造を組み立てましょう。みずから評論にするのでしょう。しかし、評論のための必要条件ではありません。
こういうことです。つくり手にまわること、与え手にまわること、は、意外と難しくないかもしれない。
ふつう受け手でしょ。完成体ばかり目にしていますよね。それが、当たり前だと、思っている。そういうトリック。「模範解答」は非常に洗練されています。けれど、本当に模範すべきでしょうか。解いてみようよ。解けないね、仕方がない。教科書を片手に解いてみようよ。それでも詰まるなら、模範解答からおいしいところをパクろうぜ。解答を書いてみなよ。答えがでた。煩雑な解答で、たしかに、まいる。もうひとたび解けばよい。解き終わりました。これがわたくしの解答です。ご覧になってください。わたくしの思いますに、どこからどうみても、「模範解答」より優れた解答でしょう。
ここで、もはや「自明」であることを削ぎ落としてみましょう。「模範解答」になります。とても洗練された構造が浮き出てきます。はじめからこれを計算するのは天才だ。わたくしはしかし、おのずと、この構造を組み立てていた。こういう言葉遊びはどうでしょうか。「完成体をつくるのは不可能だ」なぜなら、つくられたものを完成体とよぶのであり、つくろうとしている段階では、いつまでたっても完成体には至らないから、です。つくるのをやめたとき、はじめて完成体がつくられるのです。(わたくしも、これ、何が言いたいのかわかりません。ごめんなさい。ごきげんよう。)
ええと、ベクトルでしたっけ。どうしましょうか。
ええと、与え手? ですか。に、まわってみるのも、よいのではないかしら、と。ああそうそう、つまりあれです、実は教科書よりも、わたくしの素朴かつ煩雑な発想のほうが、簡単にして優れていることもある。もちろん、あなたにおいても同様です。あるいは、こうもいえます。完成体ばかり目にしています。が、それを当然のことだと思うと、行き詰まることがあります。そういうお話でした。お粗末さまです。*3
そうだ。とても良い文章があるので紹介します。教科書に違和感を感じる高校生にはとくに参考になりましょう。

鍵本聡『理系志望のための高校生活ガイド』p230

授業(というより学問全般)は演繹法で話が進むことが多いわけだが、人間の世界ではむしろ帰納法のほうが自然な発想だ。それゆえ、演繹法で書かれている数学や理科の教科書は、はじめてその単元を学習する学生がスラスラと理解できる代物ではないのだ。

だから、むしろ帰納法でどんどん問題をこなし、「こういう場合はこうする」というパターンをひととおり覚え、経験的にそれを使えるようにする。それから教科書を読む。「この定理はこうやって導くのか」「この定理はこんな意味があったのか」などと、演繹法で書かれた教科書にきっと感動を覚えるはずだ。

そういうわけで「数学が苦手なひとは、まずは教科書の内容をよく理解しよう」というのは最悪の勉強だといってよい。大抵数学の苦手な人は「演繹法」の話の進め方が苦手だから数学が苦手なのだ。だからむしろ数学が苦手なときは問題をたくさん解いてパターンを覚えこむことから始めるほうがよい。数学や理科の教科書は「最後の仕上げ」に使うべきものなのだ。

*1:実在する人物です。声優さんです。

*2:もちろん実在します。

*3:そういえばわたくし、「過程」を表現できるのが個人サイトの良いところだ、というサイト論を述べたことがありましょう。同じことです。