無題

12時30分から02時まで昼寝。この1.5時間のあいだ、実際に夢をみていた、あの物語が始まりそして終わったのは、どれくらいなのだろうか。きっと短いに違いない。そういう説を聞いたことがある。
夢に痛みは伴なわないという通念がある。頬をつねって現実を確かめるという慣行もあるし。しかし感情はどうだろう。強くこころが揺り動く、ただし夢のなかで感得するそれは、はたして実体を伴なうと、現実におけるそれと同質であろうと、言い切れるものなのだろうか。目を覚ましたときの高揚に寄りかかってなら言い切ってやるさ。あれは感情だ。
内容は恋愛ものだった。あえていうなら、きっとそいつは純愛というやつ。ひとことで感想を表すなら「こんな……これが……」。恋愛というのはこれほどのものなのか、いいや、これほどまでであるこれこそが、まさに恋愛なのだ。認識における定義の塗り替え。こんな、と思ったものこそが、それ、にほかならなかった。
官能的な快楽はいっさい伴なわなかった。それは恋愛に必須ではないとさえ、夢のなかで考えていた。彼女を抱きしめて、とまでいえない、抱き包んでいたときの心地よさをも官能といわれてしまえばそれまでではあるけれど。このまま時がとまってしまえば、という願いを切にもちうるのだ。いくら陳腐な発想であろうと、当の身、深くに潜り込んだそれは僕のすべてを侵してゆく。
思念まじりで思い起こしてみる夢日記でございますが、このおもむきはもう少し続きましょう。なぜこのような夢をみたか。もっとももっともらしい解釈は、自身のもつ感傷を彼女に投影し、彼女を癒すことで自身をも癒すため。そういう機能を、この夢はもつと考えられます。なぜ「僕が彼女に癒される」という立場ではなかったのかはやや興味深いですが、なぜかその逆であった、という結果もまた興味をもてますね。
主観にとって主感は深刻であるか、というようなことを考えたことがあります。このわたしにとって、いまいだく感情は深刻であるか。彼女にとってどうしようもなく深刻な感情は、このわたしにとってはしかし取るに足らないのでは。そういう疑念であるわけですが。逆にみて、自我でないからこそ深刻に捉えられることもあります。たかが自分、されど彼女。「ただぼくだけ」でセカイ系など成り立たない、と言うとわかりやすい。
昼寝のときにみる夢は秒に現実味がある。僕はバイトのシフトをほぼ現実通りに記憶していた。そのため、彼女との夕食の約束をとりつけるために予定を申し合わせないとなあ、と判断していた。また彼女もバイトをしていた(という認識だった)が、その可能性を匂わせる事実は認知している。
じつは彼女は彼女でないかもしれない。*に登場する*かもしれない。ただ、どうしようもなく彼女が彼女である要素が盛り込まれていた。彼女は僕に*について尋ねた。僕はそれほど*について覚えていないのでうまく答えられなかった。ちなみに、この会話は彼女の部屋でおこなわれた。彼女の部屋はとてもいい雰囲気だった。おんなのこの部屋はいいなあ、と萌えていた。
時系列がでたらめなまま書き綴っていますが、このようにしてしか書けないような気がします。これもまた、出来事ではなく、あるアイテムについて。それはお菓子のおまけついてくるおもちゃのようなサンタとクリスマスツリーです。たぶん二種類の色があります。ひとつは緑のツリーとピンク(パステル系?)のサンタ、もうひとつは白のツリーとピンク(すごく……ピンクです)のサンタです。彼女がもっているのは緑とパステルのでした。
「どっちがよかった?」
「こっち!」
「だよねー」
白のツリーはわりときれいだけれど、すごくピンクなピンクのサンタはあまり彼女に似つかわしくないものね、と考えていました。やけに象徴的なアイテムですが、とくに深い意味は読み取れませんね。
さてさて、いよいよスペクタクルな場面に踏み込まなければ書きようがなくなりつつあるようです。僕を「こんな……これが……」と思わしめた彼女との体験ですが、いやはやこれは夢に特有ではございますが、あまり状況を細かく存じ上げていません。おそらく一段おいていたと思うのです。おんなのこの部屋でいい雰囲気に身を浸すとき。そして、いわば傷から血を流す彼女を僕が抱きつつむとき、そのあとふたりで涙を流すとき。
このあいだを埋める道理がまるでつかめないわけですが……。おおよそ夢とはそういうものでしょうと仕方なく感じるしだいです。ああ。だめだ。
思い出せない。つながらない。ただ感情のわだちだけを、それを指でていねいになぞってかろうじて触覚できる程度。そのような比喩でしか言い表せないほどにかすかな物語。
どうして僕は彼女を抱きつつんでいたんだ。そのあとどうなったんだ。涙を流しながら、彼女は何を告げていたのだろう。それに感化されて共涙する僕がいだくのは、はたしていかなる感情だったか。
ふたたび分析的な視点に戻りましょうか。この夢において、解釈上、興味深いのは、お互いの両親が登場したことです。それと、あまり明確ではなかったのですが、僕と彼女になんらかの接点があった(おさななじみ?)という裏設定が匂わされていました。これはまあ、それなんてエロゲ、と片付けてしまいましょう。家族というのはいやに恥ずかしいものなので、この点については浅くなぞるだけにしておきます。
目を覚ましたのが午後02時。それからある妄想に50分ほど浸っていました。ある人物との、いわゆる脳内会話が、その主な内容です。あっという間の50分でした。もしかしたら以上の夢をみたのは現象上、数分であるかもしれないのに、その妄想はこれだけの時間を要したのです。そこで思うに、文章を書くというのもときにこれだけの時間を費やしてのみ果たせるものだ。02時50分にパソコンをつけ、現在、03時40分。もう50分を経た。主観的かつ相対的にみて、以上の文章を僕はかなり軽快に書き綴ってきたといえる。そうでさえ「もう50分」なのだ。この重みを切に受けとめたいと思う。
夢の内容そのものにこれ以上踏み込むのは、記憶の都合上、すでに限界に至っている感触がありますので、周辺的なことを紹介しておきましょう。こういったことに関心をいだいてくださる、字義通りにも、慣用通りにも、在り難いかたはいっしゃいますでしょうから。
本日は朝、06時30分に起床しました。本来ならば洗濯機をうごかしてシャワーを浴びて洗濯物を干して大学の講義におもむかなければならなかったのですが、すぐにパソコンのまえに座り、二日目のサボりが意識上でほぼ確定しました。そのあとはてきとうにウェブして(お茶して、みたいでおされですね)パンとか飲むヨーグルトを飲んだりして、のちに『バウワウ』を読み始めました。あとはKOTOKOとかストレイテナーを聴いたり、昼にラーメンを食べたりして、『バウワウ』をちくちくと読み進めていました。正午ごろに十数分ほどの昼寝をしました。そこから次の昼寝のあいだにも『バウワウ』を読んでいました。このことから本日の夢に『バウワウ』が少なからず影響を与えることが想定されますが、あまりそれらしいところはありませんでした。しいていえば、恋人の死、という出来事がなかなか衝撃的で、そこからの影響はかんがみられるかもしれません。
もうすこし視点を広げてみますと、この夢の主題が、恋愛に対する僕の「こんな……これが……」なわけですから、恋愛に関する作品が連想されるわけです。とはいいましても、もともと恋愛には関心をいだかない僕ですゆえ、思い当たるものといったら*くらいなものです。あるいは、かなりゆがんだかたちではありますが、*の作品なんかも関わりそうですね。(ある事情につき、必要以上に固有名詞を伏せておきます。ぜんぜん周辺の紹介になりませんね……)
この夢において主観的に興味深いのは、「彼女は彼女であるのか」「なぜ彼女なのか」という点に尽きます(それと前述の「立場」について)。このまえ狂気について書きましたが、僕は彼女の「こころを完膚なきまでに守り尽く」したのかもしれません。いまになって実感します。それもまた、狂気の為すわざであると。
また現実的な問題を考えると、この夢は、はたして恋愛に関する体験であると言えるのか、という問いも浮かびます。いわゆる恋愛資本主義の特性からみれば、これを恋愛と認める道理はどこにもございませんけれど……(すると恋愛ドラマのDVDを購入することは恋愛なのかしら。いや、浅はかなことを言いました。この話題を語るには勉強が足りませんね)。
思い出したことを書き尽くしておきます。彼女の部屋は扉を隔てて奥に寝室がありました。そこは浴室にもつながっていました。一戸建てとアパートがごちゃ混ぜになった奇妙な間取りですね。ええと、「一段おいていた」そのあいだに、彼女は浴室へ行っていたような気がします。おおおお風呂でしょうか? どきどきするはずですが、あまりそのような記憶はございません。
それと大団円を迎えて僕が彼女のもとを去るのが午後08時くらい。バイトに二時間ほど遅刻する設定です。「じゃ、僕バイトだから」みたいな感じで去っていたのですが、さすがにこれはどうでしょうね……。そのあとすぐに目を覚ますわけですが、よく目覚まし時計にこの夢を邪魔されなかったものだと感心します。夕日が差し込む16時14分、これにて擱筆、と。
おんなのこの部屋はいりたい。
思い出した。この夢から覚めて開口一番、「なんっだこりゃ(笑)」と口走った。
ところで、だから夢と時間論はおもしろい。論、則、学、法とかいう記事はどこだったっけ?
そういえば、以上は50分の妄想とは関係のない事柄。妄想はまたべつの内容。