第01話

大学生になってはじめての夏休み。僕は実家に帰りぐうたらと暮らしていた。ここは田舎だが夏には海水浴客がたくさん来て賑わう。ばかやろうどもが毎年毎年、海を汚していくわけだが、まだ自然の美しさは残っている土地だろう。夜には虫の鳴き声がさまざまに聞こえる。ついこの前まではこのBGMに寝かしつけてもらっていた。もう大学生だ。これを散歩の肴にでもして出歩いてみよう。
家の近くにゲーセンがある。ゲーセンとよべるのか疑わしいけれど。ガチャポンが数台、アーケード機が十台ほど、エロビデオの入ったクレーンゲームが一台、もろに古いレーシングゲームと座席の稼動するレーシングゲームが一台ずつある。数字にしてみるとなかなかのものだ。しかしまあ、あまりに素朴なゲーセンである。一番ハマっていたのは小学生のころだが、中学生のころに気の合う友達と学校帰りに寄ったのも懐かしい。
なかから洩れる光に懐古心をあおられて足を踏み入れた。こんな夜更けに開いているのは意外だ。さらに意外なのはひとがいたこと、しかも少女だ。浴衣を着た少女がテトリスをやっている。このテトリス、まだあったのかよ。夜のゲーセンに少女、しかもテトリスとは、随分と似つかわしくない状況だけれど、深く考えるのも不毛だろう。
画面ではかなり上の方までブロックが迫っていた。しかし少女は淡々とプレイを続けている。すぐにゲームオーバーになり、ズーンという効果音が鳴った。このゲーセンの静かさのせいでもあるのだろうが、やけに大きな効果音に反応して少女はびくりと肩を揺らした。そしてまだコインを投入する。まだやるのですか。
とにかく考えても無駄だ。おや、キング・オブ・ファイターズではないか。このゲーセンという空間だけは、どうやらずっと西暦2000年である。僕はコインを入れてまずアテナを選択した。フェニックスアローばかり使っていたあのころは幼かったものだ。少女をちらちらと気にしているせいで、すぐに負けてしまった。斜め後ろでズーンという効果音が再び鳴った。少女も再び肩を揺らした。まだ、揺れている。
僕は全力でチラ見した。速読の訓練を断念したことがあるが、本当に視野を広げるべきなのは本に向かっているときではないと悟ったのがその理由だ。この瞬間においてなら、スムーズに速読できるのではないだろうかと考える。こんなにくだらないことを考えるのは、動揺しているからだ。少女は涙を流していた。しかしおいおい、またコインを投入していやがる。
優しいお兄ちゃんである僕としては、助けようという使命を感じずにはいられない。いったい何を助けるというのだろうか。とにかく僕は少女に声を掛ける。にやけないぞ、こわばらないぞ、にらまないぞ、気取らないぞ。「本当は迷惑だけれど心配で仕方がないから尋ねてみよう」というお兄ちゃんを表現するのだ。少し疎ましそうにみえてだが柔和な苦笑いを浮かべて彼女に顔を向けよう。無表情以外ではもっとも得意な表情である。
「どうしたの?」
テトリスは始まったばかりなのに、彼女はびくりと肩を揺らした。すぐさま立ち上がりゲーセンの外に小走りで駆けていった。僕の声はゲームオーバーの効果音と同じだったらしい。こんなものだろう。出過ぎたまねだった。追いかける道理もない。いまどきの夏の少女は、大人と同じような悲しみを抱くものなのだろう(まったく僕よりも大人である)。それほど怪訝がることでもないな、と納得した。
テトリスは続いているが、真ん中にばかりガタガタとブロックが積まれていた。とくに考えがあってのことではないが、そこに座り続きをプレイした。もともとゲームを楽しみたくてこのゲーセンに足を踏み入れたのではない。ただ懐かしい空気に触れたかった。だからテトリスもあまり楽しくない。その分、思考は少女のことへ向かう。少女はどのような思いでテトリスをしていたのだろうか。僕の知らない、大人の悲しみだろうか。
(一応続けることはできますが、需要のないものが続く道理はありません)