いまに未来があるように、過去にしかなかったものは

なぜ中高生のころを思い出すとしみじみするのか?
時間があったから。将来に対する猶予が大きかったから。
いま、時間がない? 猶予が小さい?
それが、あり、幅をもつ、という点で、中高生も大学生も、将来という道のりを背負っていることに大きな違いはない。
いま、将来に対する問題がよりはっきりと認識できているから?
問題に対する理解、つまり深刻性を自覚し、それがなかったころを思い出すからしみじみするのか?
仮にそうであれば、時間は関係ない。よって中高生と大学生という比較に実質が失われる。
それらの両方だ? それも、もっともだ。
時間はありますか。その問題は深刻ですか。
そんなことは、むかしの自分しか知らなかった。