消費しているとき、ふと寂しさを感じた。
美術館やライブ会場の物販、お祭りの屋台、同人誌即売会などは、どこかふつうの市場とは違う購買欲によって成立している感じがする。極めて主観的で、また個性的なことでもあるが。この魔力はいったいなんなんだろう。
消費するものがいれば生産するものもいる。それを管理するものも、いる。あるいは、意図、操作、計画、設計、支配。もしふつうよりも何か感情を強められるのなら、しかしもそれが当人の意思を無視されるかたちであるなら、それは権力とよべる。消費と生産といういびつなサイクルも権力という根拠が隠れている。
隠された権力を暴くことは高校国語・大学受験国語における重要な意味のひとつだ(石原千秋先生が言ってた)。隠された権力もまた、世間は思う以上に最適化されている、その姿だ。あらゆる権力に敏感になることが必ずしもしあわせなことではない。しかし、インターネットで遊ぶような裕福で貧乏な僕たちが、そういう側面を一切気にしないというのもきもちがわるい。これもまた主観で個性。
輪がある。輪の外もある。輪のなかにいながらにして僕は輪の姿を見おろしている。本当はどこにいるのか、なんて聞いてもしょうがないだろう。