学位論文の発表に努力のアピールが求められる理由

  1. 客観的でオリジナリティのあるレポートを書きなさい - 反言子
  2. 想像を評価してもらおうなんて甘えてる - 反言子
  3. 研究のオリジナリティは目的にしか見つからない - 反言子

レポートのなんちゃら改め研究のなんちゃら、第4回。

学位論文は学生生活のプレゼンである

卒論は長文である。ふつうの論文よりも詳しくていねいに書かれているからだ、と思っていた。研究テーマの決定に至る背景と過程や、検討はしたが実際には適用しなかった方法の説明や、エッセンスではないデータの記載などが卒論を長くする。
卒論を書くときに卒論を参考にしてはいけないという意見を聞く。卒論の特殊性を理解したうえでなら、参考にできる点はそれなりにあると思う。研究のプロセスや試行錯誤が見える分、研究になじみのない学生にとっては意義深い読み物になるかもしれない。もっとも、書く参考にする前に、研究する参考にすべきだが。
ふつう、論文はひとつの研究について述べる。卒論もそういうものだと思っていたし、たいていそうだ。その意味で、卒論がふつうの論文の冗長なものと考えても差し支えない。しかし、修士や博士であれば、学生は学位論文を提出するまでにいくつかの研究に触れているかもしれない。あるいは、ある目的を果たすために手段を細分化し、そのうちいくつかを研究テーマとして再定義し取り組むかもしれない。修士にもなれば、その個々の研究をそれぞれ論文として提出できると望ましい(参考1)。
このとき、修士論文が学生生活における研究の集大成ならば、それは「ふつうの論文の冗長なもの」という域を超える。かといって、優れた研究(のみ)を取り上げるのだとしたら、成果にならない研究は切り捨てよということで、学生にとってはずいぶんとシビアに感じる。
もちろん文化によるが、修士論文は成果につながらなかった研究も許容されるように思う。したがって、修士論文(学位論文)は学生生活における研究すべてを取り上げることのできる特殊な論文である。「研究によって何を生み出しか」はもちろん、「あなたが何をどのように研究したか」という点が強く問われる。
以上のことは自分で気づいたわけではなく、原著論文と調査論文という分類を知ったことによる(参考2)。学位論文とは「実は自分の研究成果に対するレビュー論文である」(リンク先より)と聞いて合点がいった。これは様々な場合が考えられる卒論や修論に対して一貫した説明を与えてくれる。

参考1:修士論文・博士論文は、始めから投稿論文として書こう!
参考2:原著論文と調査論文と学位論文の違い - 発声練習

学位論文の発表に努力のアピールが求められる理由

修士の研究成果が研究者と同じ土俵で評価されるのはあまり現実的ではない。修士論文とは研究という側面からみた学生生活の意義を主張するものになる。(当然、研究成果を主張することもできる)
修士論文の発表会でこんな質問が気になった。「一番難しかったところは?」「一番解決したかったことは?」と問うものである。卒論の発表会ではあまり耳にしなかった質問だ。専門性の高い修士の研究で、研究内容の外側を問うのは意外にも思える。
解決したかったことを尋ねるのは、研究のオリジナリティを主張してほしいからだ。(研究のオリジナリティは目的にしか見つからない - 反言子
難しかったところを問うのは、難しそうに見えなかったからだ。しかし研究に行き詰まることは先生がたも承知である。きっと難しいことがあったのだろう、それがなぜ難しいのか教えてください、という趣旨の問いかけである。その難しさを分析することでべつ研究に活かせるノウハウが見えるかもしれない、と質問した先生はおっしゃっていた。修士論文を読んだひとが得られる副産物は何か、という問い方もなさった。
卒論は参加賞、修論は努力賞といわれる。ポジティブに捉えれば、修士は知識が豊富でないぶん努力した結果をプレゼンすることで有益な副産物を生み出してほしい、という意味なのかもしれない。
べつの見方をすれば、学生は研究の過程でいろんな能力を身につけることができる。いわば自分のための副産物にも価値があり、それこそがビジネスパーソンの前段階としての修士課程の意義であると思う。(むしろ卒論にこそ同じことがいえるかもしれない)

本当に研究が始まるとき

最後に、とても印象に残った質疑を取り上げる。質問者は発表者が十分に調査・検討できていることを称えた。実装に苦労したこともねぎらった。しかし、実装して評価することからが研究である、と戒めた。
評価に関して議論が起こっているのをみると、専門的でかっこよく感じる。実験とその結果および主張に対する理解を前提にしているからだろう。わかっているもの同士の議論だから深い。「やってみた」だけなら遊びでも仕事でもできる。それがもつ意味や価値を語るのが学問なのだろう。



評価については以下の議論がとても興味深い。
「どんな疑問や目標が求められているのか」という発想を壊したい - 発声練習
情報科学は主観評価の積み重ね - 図書館情報学を学ぶ