研究のオリジナリティは目的にしか見つからない

  1. 客観的でオリジナリティのあるレポートを書きなさい - 反言子
  2. 想像を評価してもらおうなんて甘えてる - 反言子

レポートのオリジナリティについて、第3回。

個人的な考えとして、レポートに想像を書くことは許される。想像に出題者なりの評価を求める権利はあるべきだ。現実的には、選択肢を検討し根拠づけることまでは求められない。オリジナリティはもっともらしい想像に見出せる。もっともらしさは事実との結びつきに影響するが、想像を事実と主張する必要はない。もちろん、考えを述べさせるレポートに限って。

研究のオリジナリティは目的にしか見つからない

研究成果をアピールするときには、もちろんオリジナリティを求められ、それは想像というかたちをとれない。研究のオリジナリティとは何か。見聞きした発表を振り返ると以下が思い浮かぶ。先行研究の問題に対する解決。社会的な問題に対する解決の提案。既存の手法を新しい領域に適用すること。目的に適した手法を新しく提案または改良することなどだ。
工学とよべる領域の研究を個人的によく見聞きしているせいかもしれないが、研究において重要なのは、問題または目的、および手法について、それぞれを定義しまた関係を解釈することである。手法を的確に開発し応用することは科学的な知識をみちびくうえでも有効だ。工学であれ科学であれ、研究の意義を語るうえで問題または目的、および手法について説明することは欠かせない。
問題と目的、手法に関するところでオリジナリティをアピールするのが正攻法であると思う。解かれていない深刻な問題、満たすとしあわせな目的*1、ポテンシャルを活かしきれていない手法に注目し、追求することがオリジナリティにつながる。そこに学問としてのスタイリングを加えるのが「すべての選択肢を徹底的に比較・検討し、精緻に論じること」*2だろう。

壮大な研究において手段を目的にすることの重要性

当たり前だ。目的を明確に説明しながら展開するプレゼンは、よくうなづきながら聞ける。しかし、質疑において目的を問われることはずいぶんと多いような気がする。はっきりいって、難しいと思う。以下のような場合はどうか。
ある研究に対して、教員が手段と目的の関係を問うことがあった。一般化のためにぼかした言い方をするが、「資源の有効利用」と「資源の節約」と「それに適した人間の行動パターン」についてデータ分析およびシミュレーションをおこなう研究である。僕は標題にもある「資源の節約」を目的であると読み取った。それに対して教員は、それとも「それに適した人間の行動パターン」を実行することが目的なのか、と問うた。もしそうなら、その実行にもコストがかかる。このとき、分析とシミュレーションがその手法といえる。また、「資源の節約」が目的であるのなら、それを満たす手法はほかにもある。たとえば人間でなく施設の装置を操作したほうがらくだ。
発表者はこれに「資源の有効活用」が最大の目的であると答えた。ここからは僕の解釈だが、資源の有効利用、これをある視点で具体化したものが、資源の節約という目的である。その手段として行動パターンの導出、実行を目指す。さらに、そのためには分析とシミュレーションという手法を試みる。ちなみに、その分野に詳しいべつの教員からは、本来の目的はむしろこういうものであるという指摘があった。
これがややこしい説明であることは自覚する。しかし、これ以上この研究の意義を明解に説明できるだろうか。ここから学べることは、目的と手段は階層的な関係をもつことがある。ある目的を掲げたとしても、研究として扱う領域を絞って深めようとしたとき、その一部の目的・手段関係に着目しなければならない。
この問題は壮大な研究を思いえがくほど深刻になる。最大の目的をもったとしても、それを実現する手段は、それ自体に研究が必要な難物かもしれない。だとしたら、その手段に対する分析や実験を目的とした研究が必要だ。目的と手段の逆転はふつう強く戒められる。しかし、着想における手段は、研究においてはみずから目的におとしめなければならないことがある。したがって、研究の意義をアピールするには、最大の目的を忘れない一方で、それに必要な手段の構造を把握し、その一部に注目し目的を再定義することが有効であると思う。
先の例で「資源の節約」を目的とするなら、まず「資源の有効利用」という最大の目的における位置づけを述べる(資源の有効利用にはこういうメリットがあり、そのために資源の節約はこの点の実現に貢献する)。そして、その手段である「人間の行動パターン」の導出および実行について、その妥当性を述べる(この手段はこれだけのコストが生じる一方、それに余りある資源の節約手段として有効である)。このとき分析とシミュレーションはこの手段の実現性を高める副手段といえる。もちろん、目的をべつのものに据え、それなりの正当化を試みることもできる。
もっとも、研究の価値は目的だけによって決まるのではない。すくなくともプレゼンテーションのレベルにおいて、目的などの定義が有効にはたらくことは確かだろう。

*1:学部生の研究 - 反言子にて問題や目的をみつける自分なりの心構えを述べた。

*2:想像を評価してもらおうなんて甘えてる - 反言子にて言及した、人工知能学会誌 Vol.24 No.1「編集委員今年の抱負2009:経糸から横糸まで」、來村徳信「オントロジーの価値─二つの経験から─」pp.28より。