ことのはエンジニアリング

「仕事ではやりたくないこともやらなければいけない」。
やりたくないこととは何か。できないこと。難しいこと。信条に反すること。気が進まないこと。苦しいこと。めんどうなこと。恥ずかしいこと。悪いこと。やりたくないというのは葛藤だ。やる価値がない、やる必要がないことは、やりたくないというきもちを向けるにはあたわないからだ。やりたくないというきもちは、本当にやらずには、いられない、というきもちが含まれる。逆行するあらゆるきもちがない、ときには、やりたくないことがあるまえに、ただやらない。
仕事とは何か。単なる作業とか活動という意味ではなくて、労働とか、契約とか、責任とか、役職とか、それらに絡んでくるところの作業とか活動を指し示す言葉、この場合おそらく。仮に、ジョブか、ワーク。そうとも限らない、ひとまとまりの作業、活動を指して仕事という言葉を遣うのもまた自然だ。仮に、タスク。ジョブではやりたくないタスクもやらなければいけない。
タスクに対する欲求(やりたいきもち、または、やりたくないきもち)はどのように決まるか。タスクの内容によって決まるか。ところでタスクがジョブに属すかどうかはどのように決まるか。タスクがジョブに属すかどうかによって、つまりタスクの内容から独立して、タスクに対する欲求が決まる可能性はあるか。もしタスクの所属が欲求にとって決定的であるなら、「仕事ではやりたくないこともやらなければいけない」は原理の言い換えである。
とは、いえ。タスクがジョブに属すかどうかが、タスクの内容から独立しているのか。タスクがジョブに属すかどうかを、どのように決定、または判断するのか。ああ、内容とはあいまいだ。「やること」とは。「やること」はどのように表現できるのか。たとえば事前条件と事後条件のセットだ。それはタスクを説明する一部の要素だ。
タスクの方法、あるいは形式とよべるものは、タスクの内容とよび分けるべきか。たとえば作業時間を見積もりすることは、あらゆるタスクに適用可能なタスクである。それによって生まれる価値の「ひとまとまり具合」は日常的には疑わしく、あるタスクの達成を助けることに価値がある。そのようなタスク(方法)、あるいはそれらの適用方法(方法論)をタスクの方法、あるいは形式とし、タスクの内容と仮に区別する。
現実的には、タスクがジョブに属すかどうかは、たとえば「ひとに頼まれたこと」であるかどうかによって判断できる。依頼者と責任者の関係によって生じるタスクはジョブに属す(責任者といっても、偉いひとが「責任は俺がとる」と言うところの「責任」を思い浮かべると紛らわしい)。依頼者と責任者が一致する場合には、客観的にその活動がジョブであるかどうかを判断するのは難しい。
また現実的には、ジョブに属するタスクには依頼者と責任者の関係を保つための工夫が必要である。その関係はタスクの方法によって保たれるかもしれない。タスクの内容に関わらず、計画や報告などの方法を適用することがマナーとして求められる。もちろん工夫の余地はタスクがジョブに属すときに限らない。
タスクがジョブに属すことは、依頼者と責任者の関係(または)(さらに)ある種のタスクの方法によって決まる。
タスクに対する欲求がタスクの内容から独立することに共感いただけることは望めるだろうか。つまり、タスクがジョブに属すかどうかに依存することに。そして、これをある種の関係と方法に解きほぐすことに。
これは用意。
問題の正体や原因を突き止める道具だけでは、問題を解決できない。