経験的

文系のひとが経験的という言葉を遣うことがある。これの自分なりの印象を書いてみる。文系のひとは「本当のこと」を知りたい。そのためにいろいろな「考えごと」をする。でもどれが「本当のこと」かわからない。けれど「本当のことかわからない」という「考えごと」はどこまでもつきまとってくる。このつきまとわれている感覚を「経験」という。これは奇妙だ。ふつう「経験」という言葉には「実際に起きたこと」という印象がある。これは「感覚」という言葉とはマッチしない。ここで反省すると「実際に起きたこと」が「本当のこと」かどうかは「考えごと」をしないとわからない。「実際に起きたこと」であるかのような「感覚」がどこまでもつきまとってくるならば、それが「経験」だ。つまり、ふつうのときの「経験」とは「実際に起きたこと」なのだが、「本当のこと」を知ろうとすると「考えごと」が始まり、それからどこまでもつきまとってくる「感覚」が残る。この「感覚」が、「本当のこと」を知ろうとしたときの「経験」である。