体験の額縁

SKE48の話をする。
きょう2014年1月6日のSKE48(「AKB48」の姉妹グループのひとつ。栄、名古屋、東海を中心に活動するアイドルグループだが、首都圏における人気も高い)の研究生(研究生は、チームに属す「正規メンバー」ではないメンバー。SKE48の場合「S」「K」「E」の3つにチームに16名ずつ所属する48名が正規メンバー。研究生は、正規メンバーの公演に欠員が生じたときに助っ人として出演するアンダーという活動をおこなう。一般に経験を積んだ研究生が正規メンバーに「昇格」する)の公演(各グループの専用劇場で開催されるイベント。劇場以外の特別なイベントは「コンサート」という)、「制服の芽」公演(公演にはチームごとに「セットリスト」という曲目の集合があり、毎回これを披露する。「制服の芽」はセットリストのひとつであり、過去にSKE48の「チームS」が2年以上にわたって披露していた。過去にほかのチームが披露していたセットリストをほかのグループあるいはチームが披露する場合、その公演を「おさがり」公演という)をDMM(DMM.comでは48グループのほぼすべての公演をネット中継および動画アーカイブ配信している。48グループ界隈では「DMM」が「ネット中継」の代名詞的に遣われる)の中継でみた。
SKE48研究生による「制服の芽」公演は昨日2014年1月5日に初披露された。事前の告知がないサプライズであったが、一部のファンはサイト上の掲載情報の不自然さ(ふつう書かれている公演名が明記されていなかった)を見抜いて新公演ではないかと疑っていた。メンバーはいままでどおりの公演をにおわせる発言(公演タイトル「会いたかった」にちなんだメッセージの配信)をしており、これを「高度な情報戦」などとからかうファンによるコメントがあり、ファンたちはこんなわずかな違和感からどこまでばかなことを考えるのだ、と可笑しく思っていた。つまり掲載情報の不自然さはたんなる不備であり、「いままでどおり」だと思っていた。
この1月5日の公演もDMMで中継されることは知っていたが、たまたま出かけていて気づいたら公演の時間は過ぎていた。「いままでどおり」の公演なので、また時間のあるときにでもアーカイブ動画をみようと、この日はとくに気に留めていなかった。なので、実はこの日に新公演がはじまっていたと知るのはあとになってからだった。翌朝、つまりきょうの朝、まとめサイトSKE48に特化した2chまとめサイト的なまとめサイトがいくつかある)をみてみると「制服の芽」とか「新公演」みたいな見出しが目に入ってきた。「高度な情報戦」がマジモンだったとは驚いた。きょうの公演はリアルタイムでみようと決めて期待していた。
DMMで公演をみるという「いつもどおり」をするのに、きょうはなんだか緊張した。僕はSKE48のことを知ってから日が浅いので「制服の芽」公演を通してみたことはない。だから「制服の芽」への期待による緊張というのもあるのだが、もうひとつ抽象すると、自分にとってはじめての「新公演」体験である。僕はこれに似た感覚を覚えているし、忘れている。それははじめての「公演」体験だ。いっしょなのは、これからほぼ知らないものをみる、という確定した未知だ。はじめての「公演」体験は、本当にほぼわからなかった。それはいわゆるところでいうと、悪い意味で、っていうほうが強い。
はじめての「新公演」体験、およびはじめての「公演」体験はごくわずかな例外である。月に何十回もおこなわれる公演の、ほぼ何十回は(そのすべてを唯一とよぶレトリックには共感できるが)「いつもどおり」の公演だ。だから、忘れている。悪い意味は、忘れた。はじめての「新公演」は、はじめての「公演」よりも緊張した。期待があり、そのためのアプローチを獲得している気がするからだ。
「新公演」がある、という事態は、額縁として知っていた。セットリストにはナンバリングがある。たとえば「チームE 2nd」にあたる公演があるとき、「チームE 1st」にあたる公演の存在は明らかで、そして「チームE 1st」に対する「チームE 2nd」の「新公演」という位置づけがみちびかれる。「チームごとの公演の数」マイナス「1」の数だけ「新公演」という額縁がある。ある額縁は見聞によって豪華な見栄えをしていることもある。
1曲目は派手な曲で、緊張と期待もあって感極まった。4曲目はセットリストのタイトル曲というのもあって聞き覚えがあり、「制服の芽」が始まったんだなと実感した。自己紹介MC後の口上は情緒深く、公演タイトルの意味を思い巡らせた。
ユニット曲(グループ全員で披露する全体曲に対して、曲ごとに1人〜少人数のグループが担当して披露する曲目。全体曲→自己紹介のMC→ユニット曲→全体曲なんかがよくある流れ)では有名な曲も多く、あれ(この曲)があれ(この「制服の芽」公演)の曲だったのか、などと思った。このひとつひとつも額縁だった。見聞によって磨かれた額縁だった。だからこれを埋めるのはたいへんそうだ。遠慮を忘れて言うなら、聞き覚えによる余裕のかたわらで、この曲はなぜああも高く評価されているのか、こう聞くだけではわからないなあと感じた。
曲目に関する額縁は無駄に抱えている。リクアワ(リエストアワー。グループの好きな曲をファンが投票しランキング形式で曲目を披露するコンサート)を映画館(このまえのリクアワは全国の映画館で中継していた)でみて手に入れた。順位が上がるほど額縁は眩しくなる。一度みたくらいで中身は埋まらない。でも、そんな額縁をはじめての新公演をとおして思い出しただけでもうれしい。
僕はSKE48研究生も「制服の芽」公演もよく知らないが、SKE48チームS 3rd」という額縁をSKE48研究生が受け継いでいくさまには意味を予感した。SKE48研究生を知らないっていうのは、SKE48正規メンバーに対してと比較して。顔も名前もわからないメンバーはほぼなくなった、くらいの。でも、僕の「新公演」を彩る研究生たちは、はじめて、余計な文字のつかない「SKE48」にみえた。

短いほう

きょうのSKE48研究生公演をDMMでみた。ネットでは昨日に新公演が噂されていたが完全にネタだと思っていたので、今朝まとめサイトで知って、きょうはリアルタイムでみようと思った。
僕がはじめて公演をみたのは組閣のあとだったので、リアルタイムで「新公演」を体験するのははじめてで緊張した。1曲目は派手な曲で、緊張と期待もあって感極まった。4曲目はセットリストのタイトル曲というのもあって聞き覚えがあり、「制服の芽」が始まったんだなと実感した。じゅなちゃんがポニーテールかわいいし目がきらきらしていた。かおたんのMCが「私の本当の髪の毛を見せたい」「発毛のよろこびを感じている」などと神がかっていた。それが一転してMC後の口上は情緒深く、公演タイトルの意味を思い巡らせた。
「思い出以上」「狼とプライド」「枯葉のステーション」なんかはリクアワでみて評価の高さを知っているだけに、記憶のなかで飾りつけられたそれと比較して勝手に物足りなさを覚えてしまった。これらがなぜあれほど評価されているかを探っていきたい。
全体曲については知らないのが多い分、新鮮に楽しめた。研究生も「制服の芽」もよく知らないが、研究生が「制服の芽」を受け継ぐということに意味を予感した。正規メンバーだけじゃなくて、彼女たちも「SKE48」なんだ、って感じた。
各チーム(や研究生)がいくつかの「新公演」を経ていまに至っていることは、いわば史実としては知っていたが、目の前の出来事として体験するのははじめてで感慨深かった。

申し訳

好きなウェブ日記で48グループの話があったので僕も書こうと思った。