サイト論が不毛なのはウェブが不毛の地だから(草案)


あからさまな見出しを振ってやったよ。


ぢぢ・ぢぢおさんのエロックスターに面白いメモがあったので転載。

TricksteR: ブヒョヒョ。より(勝手に修正)


個人ニュースサイト論の考察】

(表記:事象と経過/閲覧者の反応)

ニュースサイトを考察した駄文を過去ログを漁らない暇人が書く/見飽きた

「また出てきたよ」と思いながらどっかのサイトが取り上げる/見飽きた

ほぼ逆切れコメントされながら他のサイトに広まっていく/一番つまらん

最後にくろぽの反応見て終わり/見ない


まさにその通りだと思います。笑っちゃうくらい。僕以外の人にとってもとりとめもないことなんでしょうが、「最後に」のニュアンスが少し気になります。単にぢぢさんが「じゃあくろぽでも見るか」と思ったのか、それとも僕がいまから総括的なことを書くのを予期してのことなのか。まあ、せっかくだから、何か書くことにします。今回は常体で書いてみよっかなっ♪(軽やかな足取りで口笛を吹きながら鳥のさえずりと調和するごとく)。

サイト論が不毛なのはウェブが不毛の地だから(本編)


※ここでの「サイト論」は主に「個人ニュースサイト論」を指しますが、まあなんでもいいです。


サイト論はしばしば不毛なものとされる。過去に多くの意見が出され、議論が交わされているにも関わらず、実際のサイトそのものはたいして発展を遂げていないからだろう。また、サイト論はただの(サイトを持たない)閲覧者にとっては何の面白みもない話題であり、ときにはサイト運営者同士の馴れ合いのような、くだらないネタになることもある。


現にサイトを運営している人は、ネット人口の中でもわずかであるといえる。それに加えて「テキストサイト」だとか「ニュースサイト」だとか、さらに「羅列系」「コメント重視」「ブログツール」「エロ」等など範囲絞って、あげくには「個性」「独創性」「意義」などの気持ちの悪い言葉を組みたてて論じるのだ。


「個性」を主張するサイト論にもまた、個性などない。独創性についても然り。サイトの意義を説くようなサイト論にいたれば、それは滑稽とまでいえる。そのサイト論そのものに意義がないのだ。主張の正しさ、意見としての質の高さ(を備えるサイト論があるかも疑問だが)さえも考慮されず、「新しい情報」だけが価値を持つこのウェブの中で、当たり前のように埋もれていくにすぎない。


つまり、サイト論は不毛なのだ。それを楽しめる者はほんのわずかであり、現に存在するサイトには何も意味はなく、その論自体もそのうち風化していく。


単につまらなくて無意味なだけならまだいい。問題は、「つまらなくて無意味」な論そのものが消えていくことである。ここから、愚かなまでのトートロジーが生じる。むしろマイナスの意義しかないサイト論が表れ、次第にそれが消滅しゼロに戻り、そしてまたマイナスへ向かうサイト論。この繰り返しである。素敵すぎる。


というわけで、多くの人はうんざりしている。だが、ここに矛盾のようなものが見られる。多くの人がうんざりしている中、どうして悪質なサイト論が広まるのだろうか。元をたどれば、誰かが「書く」から、そして他の誰かが「広める」からである。「広める」ことについては、ぢぢさんのいう「ほぼ逆切れ」が理由ということにして、ここではとくに触れないでおく。


では、多くのひとをうんざりさせるサイト論を「書く」のは、誰だろうか。それはサイト論が不毛であることを知らない人々である。簡単にいえば厨の仕業であるが、それだけで片付けてはいけない。彼らは、サイト論に関する現状を、知る術がないのである。マイナスほどの価値しかないサイト論がゼロに戻るように、プラスへと向かいうるサイト論さえも風化していくのが、このウェブなのである。


これは僕の個人的な感情だが、いくら「厨」と呼ばれても、サイト論を述べるほどの人はある程度ウェブのことが好きなんだと思う。彼らが思考を凝らして生まれたサイト論が、既出だからといって排除されていくのは、不憫に感じる。また、「彼ら」には僕自身も含まれる。この文章においても、既出の考えが多く含まれていることだろう。しかし、サイト論を述べるにおいて、


つづくwwwwwwと思うwwwwwwwwうぇっうぇうぇっうぇwっうぇっうぇwwwワロスwwwwレタスwwwwwwキャバツwwwwチンクロニシティwwwwwおっぽいwwwww


なんだこれ