物語の根

あるゲームで、神は神で勝手になんかやってるし、人間は人間で勝手になんかやるしかない、祈るなら勝手にやれ、みたいな話があって、アイドルとファンもそういうものじゃないかと思う。
アイドルファン活動とはアイドルのアイドル活動やアイドルファンのファン活動に物語を(み)つける機能である。物語をつけるというのは、意味をつけるとか、価値をつけるとか言い換えたい。物語をつけるとは、内的な価値体系に対して、ずれた外的な価値体系を適用することでゆがみの解釈を得ることだと思う。内的な価値体系に踏み込もうとすれば(それが可能かはさておき)物語は叙述に収まる。
ちょっとおもしろいことに、アイドル自身がみずからに物語をつけようとする言動がある。それはアイドル活動の駆動の継続にどのくらい寄与するのだろうか。
内的な価値体系というのは、人間はがんばり始めたらがんばり続ける習性がある、という無味乾燥な駆動ネットワーク。その外の価値体系、あるいは、つけられたものがたりが駆動の継続を支えている気はあまりしない。しかし、物語は駆動の停止を思いとどまらせる力が強いのではないかと思う。継続のエンジンにはならないが、停止に対するブレーキとして。
アイドルがいまアイドルであるのは、内的な無味乾燥の価値体系によって。アイドルがこれからもアイドルであるのは、外的な価値体系の自己言及による物語によって。そのふたつが止まったときのバックアップとして、外的な価値体系の言及による物語があるのではないか。
アイドルが元気であるという事態は非物語的であると思う。それに対してファンはファン自身の価値体系を適用する。そこにはいやがおうにもずれが生じ、物語がはみ出る。それによってファンが元気であるならば、この無味乾燥なカップリングは気分がよい。物語をみつける遊びは芳醇な娯楽だけれど、疲れたらやめればいい。



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