狭い記憶のなかでみっつの記事がたまたまつながってひとつにみえた錯覚にこだわりを捨てられなかった結果

//chalow.net/2014-01-08-1.html" target="_blank">[を] ブログを自己実現の手段ととらえるかライフログととらえるか:「自己実現」を「自己表現」に見間違えて読み通し、勝手になるほどと思ってしまった。「散文」/「構造化データ」とか、「作品」/「断片」みたいな観点も思いつく。

断片的散文はローカルのテキストファイル(日記)に、作品的(せいぜい見出しのついた)散文はここに。一部の構造化されたライフログはカンマ区切りテキスト、だったがさいきんは集計の便利で表計算ソフト形式に。読書ログみたいな構造化された断片はそれ用のウェブサイトに。ある観点において散文に構造化データを付与したライフログを自分用のウェブサイトで。

//lifehacking.jp/2014/01/notebook2014/" target="_blank">紙の手帳に何を書くの?という永遠のテーマに迫る「成果を出している人がやっている超手帳術2014」 | Lifehacking.jp:応用ソフトは目的に特化しているから便利という意見。ブログはライフログに向く応用ソフトだろうか。何がライフログかに依るし、ライフログの目的にも依る。
//lifehacking.jp/2013/04/scapple/" target="_blank">マインドマップより簡単!思考を投げ込むツール、Scapple | Lifehacking.jp:マインドマップへの抵抗感として、ど真ん中を決めないといけないというのがある。断片のネットワークからおのずと中心が現れる、というおもむきのほうが好み。

以上がここに書くべきことなのかというのはよくわからない。見出しも定まらない。